何故、神はロトの妻を塩の柱にしたのでしょうか?
単に裁くのが目的なら、このような方法を取らなくても幾らでも方法が有りそうなものです、人を塩の柱にするなどはこの部分にしか出て来なく、とても希なことです。神が、無意味にこのようなことをされたとは考えられません。
その区別が付きません、転ぶか、心臓麻痺、何れにしても、その死の責任は、多分に急がせて走らせた神の方に向けられ、ロトの妻は寧ろ気の毒に思われます。
それで、これが神の裁きであることを明確にするために、神はここで人を立ったまま塩の柱にすると言う極めて特殊な裁きを行いました。
先ず、塩の柱と言う表現ですが、これは人が立ったままの状態を指しています実際には振り返った状態で塩の柱にされました。
これは裁きの理由が、振り返った事であるとの証拠を確実に残すものとなりました。
また人はどう間違っても塩にはなりませんので、ここで超自然的な奇跡を行うことによっても、これが神の裁きであることを証明しました。
またロトの妻は、ロトの後ろを走っていたので、振り返った状態で塩の柱にすると云う神の裁きの証拠をその場に残さなければなりませんでした。
さてここで質問ですが、ソドムには何人の義人が居ましたか?
この事から、ロトの妻は義人に数えられていたことが解ります、つまりこの時点まででロトの妻は義人だった、何も悪い事はしていなかったと言う事です。
ここからが、とても大切な点ですが、神はその何も悪い事はしていない義人であるロトの妻を裁いた、塩の柱にすると云うとても希な奇跡を行ってまでも裁かれた、と言う事です。
それは神が裁いたのは、ロトの妻の行い(義)ではなく、ロトの妻の心(愛)を神は裁いたからです。
ロトの妻はソドムの裁きの原因となった物質的で極めて不道徳な行いには確かに一切関わってはいなかったでしょうが、しかし彼女の心はそれを慕い愛していました。行ってはいませんでしたが、彼女の心はそのような行為を望んでいたのです、それ故振り返ってしまいました。
彼女は未だ発症はしていないとは言え、不道徳と言う死を齎す強力な伝染病に犯されていたのです、彼女一人を他所に連れて行っただけでも、そこにまた新たなソドムとゴモラがそれ現れたことでしょう。
彼女の心はもう如何なる方法でも、神の奇跡を持ってさえしても癒し得ないほど腐りきっていました。
故に、神は最後の情けとして、彼女を塩で清めようとしました、少なくともこの清めで彼女には埋葬のチャンスは与えられましたが、彼女の家族は彼女に埋葬の価値は認めませんでした。(埋葬は復活を意味する)
この経験が証していることは、救いは単なる義の業に依るものでは決してない、神は心をご覧になる、その人が実際には何を愛しているかを裁いていると言う事実です。