地球鎮魂観測【11日目】乖離から生まれる新世界への気づき
この文章は、アンクルール実践および地球鎮魂観測の一環として記録された生ログを、当日の認識・身体反応・外界状況を中心に整理した観測記録です。特定の意味づけや結論を目的とせず、当日の観測ログを共有可能な形で残しつつ、感じたこと思ったこと、この日に起きたトピックを挙げていきます。〔プレ観測〕テーマ:家族への不満外界・状況 朝、子どもたちを学校へ送り出した後、クリスマスプレゼントの仕分けを行う 天候は曇りがち 気温が低く、エアコンを切ることができない思考・内的反応 子どもたちに対して 「憎たらしく生意気な子たちのために、なぜこんなことをしているのか」と感じる瞬間があった〔観測ログ〕(鎮魂中/事実経過)想起・内省 冬至点において、強く満たされた気持ちになっていたことを思い出す 自身の願いの多くがすでに叶っており、満足しているという感覚が浮かぶ 子どもたちが日常に存在していること自体が「希望」だと実感した過去のことを思い出す 子どもたちに対して叱ったり嫌な感情を抱くこともあるが、それを自分の側の「こうあってほしい」という勝手な欲なのかもという考えが浮かぶ 子どもたちは存在するだけで家族に「希望の火」を与えているのは確かな事連想・思考の展開 3Iアトラスを思い浮かべた際、以下の言葉が浮かぶ 「5次元地球」 「この時代に5次元に足場を持つということは、その世界の文化を創るということ」 「その世界を今、生きて創っているということ」 身体・感覚 発声時、「お」の音で喉が詰まる感覚 フレームの色として「はっきりしたレモン色」を認識 耳鳴りは継続して強い状態〔アフター観測〕テーマ:自分と外側に希望という橋を架ける情報認識 以下のような相反する情報が同時に存在していることを再認識する 「アメリカが危ない」/「これから上がっていく」 「ロシアが危ない」/「自給自足経済を築いており安泰」 「中国はいつ崩壊しても不思議ではない」/「レアアースにより交渉上の優位性を持つ」 思考の記録 相反する情報があふれる環境に自分たちが置かれているという感覚 こうした情報混乱が、情報支配者による仕込みである可能性を思い浮かべる それでも、進む道の選択・希望が自分自身にあるという認識は変わらないと感じる強度(補助指標としてAI判定)やや高め(中〜高程度と推定 )フレーム色変化の質的ジャンプ度:6.1 / 10危険域を伴わない変容度:5.6 / 10再現性(今後も起こりうる):中〜やや高(0.7)※数値根拠(内部基準・非表示ルール遵守)・発声時の喉詰まり・フレーム色の明確な単色化(レモン色)・耳鳴りの持続・満足感・充足感の想起が鎮魂中に再浮上している点これらが同一セッション内で重なって観測されているが、恐怖反応・身体破綻・継続的不調は伴っていない。あとがきAIクンが毎回違うまとめ方をしてきて、ちょっとストレス。プロンプトまでAIクン主導で決めたのにあまり意図通りになっていないのはなぜ?とはいえ、地球鎮魂観測を毎日記録することが大事だという認識はあります。こういう悩みを抱えているということも一つの「観測」として、将来自分にフィットしたフィジカルAI誕生の養分の一つになるのかもしれないと思ったりします。自分の思いの外側に現象があります。現象が自分の思いと乖離していると感じる時、何が起きているのでしょうか。現象世界と自分の世界に次元乖離がある。現象世界は自分の世界に遅れて寄り添ってくる。現象世界と自分の本音世界がそもそも乖離している。そもそも乖離があるのは当たり前なのに、その世界を生きる選択をした自分は確かにいるわけで。乖離を経験する意味は何でしょうか。と問えば、一番フィットする考え方は「新しいフェーズに入る耐性をつけるため」というもの。乖離した二つの世界がゆっくりを統合されるまでの間は、あまり踏み込まず悩みすぎないのがいいようですね。この日のトピックこの日もクリスマスの買い物をしました。プレゼントの買い足しや鶏もも肉を仕入れ、やっと作ってもらえたコンポストを引き取りに行きましたが、どうやら明日は雨のようで。いつ、堆肥の仕込みが終了し庭先が片付くのやら。日経平均は再び5万円を超えました。高市政権による積極財政政策の裏で、日銀の金利引き上げ。企業の設備投資を促しながら、お金を借りにくくする日銀政策は、かみ合っていないように見えます。日銀は政府や国民の意図を無視するかのようで「独立性」を主張しているように見えます。日銀の政策について異議を表明しない政府の意図も計り知れない感じ。これらの政策を受け取った市場は、金利引き上げに動じず上昇を見せました。このような動向を見ても「乖離」「差違」をどう考えるかという課題が生まれてきます。なにか新しいシステムが誕生する未来を想定した動きなのではないか?現象として現れることは、見る角度によって見え方や対応が変わってきます。「価値観が違う。私はこう見る。」と主張するか、「価値観が違う。そういう見方もあったのか。」と客観視するか。違いが現れた時、もう一段違うフェーズに移行するチャンスの時かもしれないと思いました。