もういつからか忘れたのだけど、気が付いたら月に2~3回、母親の買い物の手伝いをしている。仕事が休みの日に、片道1時間かけて母の自宅に車で向かい、買い物と食事をする。大体10時か11時に母の家に着き、諸々終わって母の家を出るのが14時か15時頃。半日仕事をしたくらいの疲労感があり、休みの日なのに休めている感じがしない。
母は昨年の1月に股関節の手術を行い、今はリハビリに通いながら一人暮らしをしている。1週間に1度行われるリハビリに以前は同行していた私だが、月に10日ある休みの実に半分近くが奪われるため、母とプチ喧嘩の末、今の形に落ち着いた。しかしそれでも、母の所に向かう前日に深夜まで働いている日もあり、しんどい時もある。
母はリハビリの先生から、「親孝行な息子さんをもって幸せだね」などと言われ、それが嬉しいらしい。こんなこと言われたんだよ、と無邪気に、誇らしそうに私に報告をしてくる。親孝行という言葉はとてもポジティブな言葉のはずなのだが、私にとってはネガティブにすら聞こえてしまうときがある。そう言われて素直に喜べず、負の感情が出てくる自分に嫌な気持ちを抱くのもつらい。
母は基本的に一人で動けるので、もしかしたら買い物の手伝いはいらないのかもしれない。お金だけ渡して、タクシーでスーパーに行ってもらって、重いものはこちらで買って配送するのでもよいのかもしれない。でもできない。なぜなら直接会うことで母の笑顔が見られるからだ。本当に矛盾していると思う。だけど本質的には自分も親孝行をしたいのだと思う。でも親孝行と言われ素直に喜べない。せっかくの休みなのに…早く帰りたい…また寄り道して買い物がなかなか終わらない…言いたいことはたくさんあるのだけど、それを口に出すと母が悲しむのが目に見えているので言えない。(たまに漏れ出す時があって、その時は後からとても後悔する)
父は27年前、胃がんで亡くなった。そこから母は女手一つで私と弟を育ててくれた。男2人、反抗期もあっただろう。どれだけ苦労したか、想像もつかない。私としては父親に何も親孝行できなかったという思いがあり、父にできなかった分を母にしているつもりだ。だからきっとこの先も“親孝行”を続けるのだろう。そして違和感を感じ続けるのだろう。でもこの違和感は、決してネガティブなものではないのかもしれない。きっと天国の父が見ていて、ほめて、認めて、応援してくれているはず。父への親孝行にもなるのなら、悪い気はしない。とこれ以上書くと涙が出てきそうなので、筆を止めることにしよう。お母さん、来週もまた行くからね。