Five Years | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。



David Bowie - Five Years

「震災から5年」 というフレーズを聞いて、真っ先に連想したのがこの曲。
歌詞的には震災に符合する様な内容じゃないというか、「地球が滅亡するまで残り5年」 みたいな歌なんで、まぁ、縁起でもないって言われたらそうかも知れないんだけど、俺にしてみれば全くシンクロしない訳でもなくて、あの日感じた事や、その後の被害報道を見る度に感じた事ってのが、まさに 『死の宣告をされた人々』 を表す歌詞と一致する部分がある。

自分の死について、わりと若い頃からシリアスにリアルに考えてた方だと思うんだけど、日本が滅亡する様な事態についてはさすがに考えたりはしなかったからね、あの初めて体感した震度6弱激しい揺れ、繰り返される強い余震、そして追い討ちの様な原発事故
自らの死は勿論、これまで関わりを持った人達の死も想像せずにはいられなくなった。
東北に住む知り合いの安否もまだ確認が取れず、ひょっとしたら地震や津波でとっくに死んでいるのかも知れないと考えたし、死ぬには至らなくても、酷い被害で助けを求めている状況かも知れないと考えた。
幸い、俺の知り合いに死者は出なかったものの、過去に関わりを持った人達全員の無事が確認出来た訳じゃない。
ひょっとしたら・・・と思う事は今でも稀にある
無事だった知り合いについても、それは 「彼らが無事だったという事実」 にしか過ぎず、その親族や友人、知り合いの全員が無事だったという訳でもないだろう。
「無事で良かった」 と思う事、掛けた言葉に嘘が無かったとしても「大丈夫、ありがとう」 と答える人達の胸の内では、「何が良いものか」 という本当の返事があったのかも知れない。
傷を負い、痛みを抱えた人々にとって、死なずに済んだ事必ずしもラッキーではないだろう。
直撃による大ダメージを受けなかった我々は、被災者に対してその事を踏まえなければいけない。


あの日、徹夜明け昼頃にようやく寝付いた俺は、激しく揺さ振られて目を覚ました。
たかだか2時間ほどしか寝ていなかったせいで、意識は朦朧としていた。
俺の住む地域は、茨城南部を震源とした大きめの地震が頻発する場所で、言わば 『地震慣れ』 はしていたと思う。
だから、当初は 「ああ、また地震か」 ぐらいの感覚でしかなくて、「それにしてもちょっと大きいな」 余裕をかまして、数秒は布団の中でそのまま動かずにいた。
なんせ熟睡中を唐突に起こされた訳で、その地震が尋常ではない規模だと気付くまでにラグがあった
「いつもの地震と違う!」 と認識するまで、恐らく30秒ぐらいは掛かったんじゃないだろうか。
ようやく事態を認識して文字通り飛び起きた俺は、部屋中を見回しながら、瞬時に何をどうすべきかと考えた。
荷崩れが起きる中、今にもボードから前のめりに倒れそうなTVを窓際まで押し込むと、素早くベッドの上に移動して、2つの本棚を両腕で支えた
あとはもう、部屋中の状況を確認しながら耐える他無く、本震が静まるまでの数分間、とにかく状況確認をしながらその後の行動について考えた。
本震が終わった頃には、すっかり脳が覚醒していたから本能というのは凄い。

前から自覚していた事だけど、俺は緊急時でも比較的パニックに陥らないタイプらしく、むしろ冷静な状況判断その後の対応について頭が働く
本震が治まると、まず余震を警戒して窓とドアを開け、部屋を出て階下の様子をチェックした。
猫が無事かどうかを確認し、キッチンでガス漏れ等が無いかも確認。
姉貴は買い出しに出掛けて留守だったんで、姉貴らの部屋も一応覗いて状況確認。
取り急ぎ家中のチェックを済ませると、部屋に戻ってTVとネットでの状況確認
大地震が起きたのは聞くまでもないが、震源や各地の規模、被害状況をとにかく把握したかった。

大地震というだけでも恐怖だ。
それだけでも被害は少なくなかっただろう。
しかし、津波が来た
未曽有の大津波。
信じ難い様な光景をTVで目の当たりにした。
そして、最悪な追い討ちとなる福島原発の事故

地震による被害やストレスというのは、何も東北に限った事ではなく、まさに俺の住む千葉でも充分に大きな影響を与えるもんだった。
津波による被害も、東北に限らず、茨城や千葉にも大ダメージをもたらした
ここまでなら、『被害は太平洋沿岸を中心とした広範囲』 という括りになるはずだった。
しかし、原発事故がその括りをぶち壊した

福島原発が 『導火線に火の着いた爆弾』 と化し、日本そのものが危機に陥った。
もはや地震や津波の被害状況に浸る間も無く、この国が滅びる事の覚悟を強いられた。
生や死を語る事すら無意味で、ましてや人権もへったくれもなく、何の恨みも因縁も無く、無機質に多くの人々へと差し向けられた 『死』 そこにあった
どれだけの人がそれをリアルに認識していたのかは解らないが、それは紛れもなく日本にとって最大の危機だった。
罪を犯した訳でもなく、日常を過ごしていただけの多くの人々の命を奪った津波。
それを悲劇と言うのならば、『最悪の原発事故』 というナイフを首元に突きつけられていた我々の境遇も悲劇だろう。
唯一違うのは、津波は天災であり、原発事故は人災だという事。


氷室京介 - CALLING

俺は決してでもでもなく、ただひたすらに自分のフィルターを通した答え個として主張するだけ
全てが正解だなんて思っちゃいないし、間違える事から学ぶ可能性も知っている。
デヴィッド・ボウイが常に変化を求め、構築と破壊を繰り返しながら生きていた様に、人生というのはあくまで流動的であるべきだと俺は思う。

あれだけの危機に陥りながらも、原発利権が崩壊する事はなく、相変わらず原発再稼動に向けてこの国は動いている
呆れてる人怒ってる人も大勢居るだろうけど、「再稼動反対」 の声を上げる前に、原発利権について一度検索でもしてみた方が良い
表面的な事柄だけを踏まえた反対の声なんて、結局は偽善にしかならない事を知るべきだ。
自分が何についてどう主張したいのか、まずはしっかりと掘り下げなければ説得力が無い

世の中の仕組みを理解するほど、真っ当に生きるのがまるでバカらしい事に思えてしまう。
原発利権に限らず、社会の根底には必ず表向きにはされていない裏の意図がある。
善人が本当に善人なのかは解らない。
笑顔の下で多額の金がやり取りされていたりするのが現実の社会
その上で誰を信じるか、何を信じるか・・・という話なのだ。

「政治の流れは政治家の責任だ」 と思い込んでいる人々が大多数の日本。
確かに罵りたくなる政治家は多いけど、そろそろ連中が単なる傀儡に過ぎない事を知るべき時じゃないかと俺は思う。
操り人形は操縦する糸によって動くものであって、決して自ら好き勝手に動く事なんて出来ない。
そんな事、子供だって知っているはず。
下手クソな人形劇を観て、「人形の出来の悪さ」 を批判する客になるのか、「操る裏方」 を批判する客になるのか、それは自分次第
しかも、世の中というのは、操り手に指示を出している 「更なる裏方」 が居たりする訳だから、本当に目を向けるべき相手が誰なのかを見極める事こそ重要になる。
偽善者にならない為に必要なのは、見たくもない真実知りたくもない真相をも見据える己の目だ。
拳を振り上げるかどうかではなく、何がどこまで見えているのかを自覚する事にこそ意味がある。

前述した様に俺は右でも左でもないので、どんな事柄についても、あくまで自分のみの思想や意見しか語らない。
例え似た様な主張をする人や組織があったとしても、そんなものには決して属さない。
それが 『自分として生きる事』 であり、『自分が自分である意味』 だ。
そこに賛同も求めないし、批判を聞き入れるつもりもない。

あの日、地震や津波、関連する事故や病気、あるいは過度なストレスによって傷ついた人達、亡くなってしまった人達への最大のリスペクトと追悼は、生きている我々が一人一人の人間として確実に生きて行く事じゃないだろうか。
特別な何かではなく、ごく自然に唯一無二の自分として生きる事こそ、応援や弔いになる気がしてならない。
どんなに泣いてもあの日には戻れないし、祈りで死者が蘇る訳でもないのなら、生き延びた我々がすべきは、とにかく生きる事だろう。

5年経った今、俺は決して幸せとは言えなくともまだ生きている
若い頃の様に泣く事は少なくなったけど、本気で笑う事も少なくなった
何が目的で生きているでもないし、生きている事が楽しい訳でも、喜ばしい訳でもない。
「死ねばいいのに」 自分自身に言う機会も増えたけど、それでも俺は死んでいない。
死んでいないという事は、自分として生き続ける役割があるという事。
それが何になるかなんて、考えたって仕方無い事だろう。
かつて誰かの助けになった時だって、決して人助けを目的に生きてた訳じゃない
そういうもんだ。
それが解ったという事だけでも、生きていた意味はあるのかも知れないしね。

肩肘を張らず、気を抜き過ぎず、愛すべき人を愛し、嫌うべき奴に舌を出し、煩悩にまみれながら浮き雲の様に人生を漂うのみ。
それが現段階での俺の答えです。