ブログネタ:お金があれば、幸せになれる? 参加中いやいや
「なれません」
でしょ、当然。
俺は16でバイトを始めて以降、金絡みでは結構苦労してるんですよ。
まぁ、単純に金が無いだけの苦労ってのもありますが、金があっても苦労はするんですよね、有り過ぎるとかって意味じゃなく。
それは今現在も続いてる事で・・・実際、どうしたもんかと悩んでたりもします。
さすがに金絡みの事となるとこんなトコで下手に書けないんですが・・・例えば今現在、椎間板ヘルニアの療養中でロクに歩けないんですが、貯金なんかないし、仕事も去年辞めてたもんで収入も無い訳ですよ。
治療費や生活費なんかは親父が出してくれてますが、それがちっとも足りてないんですよねぇ・・・。
いや、治療費はどうあがいても決まっただけ出さなきゃならないんでアレですけど、親父はケチなもんで、本音は一銭も出したくなんかないんですね。
だから、俺がまだ痛みがそこそこ強く残ってる段階でも「あいつ、もう大丈夫なんじゃないのか?」とか姉貴に言ってたみたいです。
それに生活費。
こっちの方がかなり問題で、親父は毎月決まった金額をくれないんですよ。
下手すりゃ全くよこさない時もあるし、こないだなんかは持ち合わせが無いとかって二千円とかよこしましたからねw
ガキの使いかよって金額なんですがw
いや、それでまた後からくれるなら文句は言えないんですけどね、親父って人はそこで記憶してるのって「金をやった」って部分だけなんです。
つまり、肝心な「幾らだったか」って金額の部分は全然覚えてない人なんですよ。
って事になると、二千円よこして3万も渡したつもりになってるって事。
これはね、いくら金出して貰ってる立場だとしても困りますからw
そもそも、普段からよこすのって月に2万程度ですよ。
日割り換算してみれば、どう考えたってそんなんで生活なんか出来っこないんです。
ただでさえ家からまともに動けない以上、三食は家で済ますのが基本だし、洗い物やらが増えるから洗剤類だって仕事してた時よりずっと減りが早い。
それだけでも結構な出費になるのに、そういった細かい事が全く理解出来てないんですよ、ウチの親父。
まぁ、そういう親父なもんで、家の事に関する金銭面の問題は昔から尽きない訳です。
そりゃあね、あちこちで借金して取り立てが酷いとか、生活費まで使い込んでギャンブルしてるとかではないけども、抱え込んで最低限の金も出そうとしないケチってのも困りもんなんです。
「金が無い」ってのを呪いみたいに口にするクセに、知らぬ間に損としか思えない中古マンションの一室を買ってたり、車を買い替えてたり、その車がベンツになってたりするんだからこっちはたまったもんじゃない。
金が無いのを理由に散々文句だの言われて、嫌ってほど溜め込まされてきた俺のストレスはなんなんだ?と。
まぁ、親父はド田舎のボンボン育ちなんで仕方無いっちゃ仕方無いんだけども、いやはやケチってのは罪深いですよ、ホントに。
まぁ、そういった事もあって、俺は金ってもんに対して非常に嫌悪感を抱いてる部分があるんですね。
そうは言っても金は必要だし、金があればどけだけ楽になるか・・・とも思ってます。
だけど、幸せになれるかどうかは金と直結ではないですからね。
確かに金があれば俺のストレスはかなり減るし、そうなれば周りのストレスだって連鎖的に減る事になるとは思います。
そうやってストレスが減ったおかげで幸せな要素を見出す事もあるかも知れませんが、もしそうなったとしても、それは「金が幸せにしてくれた」って事ではないですよね。
だから、金はあくまで間接的な役割を超える事なんてないんです。
俺なんかは、金さえあれば家を出られるし、もっと有意義な人生を送る事が出来るのは解り切ってるんです。
必要な環境や道具を揃えるにしても金は要る。
もっと言うなら、金を稼ぐ為に費やしてる時間を無くす事が出来れば、人生にもっと自分の時間を作る事が出来るんですよね、みんな。
そういう意味で言えば、「金は人生の時間すらも買う事が出来る」って言えなくもないですよね。
だけど、どれだけの物や条件、時間があったとしても、それだけで「=幸せ」にはなれないんですよ。
金なんか無くたって幸せを感じる人は幸せを感じられるし、金どころかあらゆる望む物を揃えてる人が居たって、幸せを感じられないなら幸せではないんです。
幸も不幸もその人次第ってのが基本だから、幸せを感じたいならそうすべく動く以外にないんですよ。
もしそうしたとしたって、俺の様に、あるいは世の中に数多く居るであろう「最悪」を感じてる人達の様に、外からのどうしようもない力で不幸にさせられてしまう事もある。
結局、「どうすれば確実に幸せになれるか」なんて定義はどこにも存在しない訳で、それが金であるはずも当然ながらありっこないんです。
これは矛盾した事になるかも知れませんが、「金で買える幸せ」ってのも無い事はないんだと思うんですよね。
例えば、誰か傍に居て欲しいとそれだけを強く願ってる時、商売であっても傍に居てくれる誰かを呼ぶ事は可能なんですよ。
それがどういったサービスを売りにしてるのかは別にして、その人にとっては誰かが傍に居るという事実だけで「幸せ」を感じるかも知れない。
だとしたら、それは「幸せを金で買った」という事になりますよね。
それが一時的なものだとしても、決して「無し」ではないんです。
何故って、例えば傍に居てくれるのが彼女だったとしても、もし別れれば付き合ってた期間というのは「一時的なもの」になってしまう。
もしその彼女と別れなかったとしても、彼女の価値観として「彼氏は金がある奴だけ」ってなもんがあるとしたら、それは本質的な部分では「金で買っている」と同等なんですよ。
だとしたら、商品として誰かを呼ぶのとそれほどの違いは無いって事ですよね。
つまり、金で買える幸せってもんも存在してしまうんですよ。
幸せというものの定義がそれぞれで違う以上、幸せを金で買える人だって現実に存在するんです。
それに、幸せというものはそもそもが一時的な感情でしかない訳で、そこには本物も偽者もないんですね。
その瞬間に「幸せだ」と感じれば、それは間違いなく幸せであって、それを否定する事なんて誰にも出来やしないんです。
ただ、その幸せは騙された上であったりしても存在し得るので、幸せだから万事OKという事ではないだけの話。
まぁ、俺は幸せになる為とかじゃなく、ストレスを減らす為に金が欲しいですね。
金なんか有りすぎたってロクな事はないって言うけども、俺は有り余る金さえあれば今よりずっと平穏に生きられるんですよ。
だから金が欲しい。
幸せはこんな一杯一杯な状態じゃなければ自力で幾らでも見つけられるんで、そこは全く問題なし。
金で買える幸せは・・・遊び程度ならちょっと試してもいいかな~ってトコですかね。