ブログネタ:自分のちょっといい所、3つあげてみよう 参加中これは日本人には難しいネタだけども、俺の場合は・・・
・探究心が強い
・理屈屋
・人生を暇潰しだと思っている
ってなところかな。
どれも俺の本質というか、俺らしさの三大要素みたいなもんかも。
『探究心が強い』
これはね、もうガキの頃からあったんですよ。
小学生の頃、当時の担任に「何でもすぐ調べるのは偉いね」って褒められた事があって、その事を思い出してからはちょっと自信持って言える様になりましたね。
いや、なんか、そこだけで調子に乗ってるみたいでアレですけどw
でもね、やっぱり俺は「なんで?」とか「なにそれ?」って思うと気になっちゃう性分で、自分をある程度納得させてやらないと気持ち悪いんですよね。
まぁ、それは二つ目の『理屈屋』に通ずるところでもあるんだけど、基本的には「これはこうだからこうなんだ」って筋の通ったもんが欲しい訳ですよ。
それだけに、普通なら「あぁ、なるほどね」で済む様な事でも、「ほぉほぉ、それからそれから?」ってもっと深いところまで知りたくなったりするんです。
勿論、それが良い結果に結びつくばっかりでもないんだけど、そうやって知識なり骨組みなりを得てきたからからこそ、今の俺になってるんだろうな~と。
『理屈屋』
もうこれは言うまでもなく俺を表す性格の一つ。
まぁまぁ、理屈屋なんて面倒と言えば面倒なんですよ。
いちいち理屈ですからね、これ。
「そこはいいじゃん」ってトコだって、それなりの理屈を欲しがりますから邪魔臭い奴ですよw
でもね、俺の場合は理屈ばっかりに捉われてもないんですよ。
ただほら、物事には道理ってもんがある訳で、「そこを知らずして何を語るか」って事なんです。
理屈主義ではなく、「理屈がこうだとして、俺はそれをどう捉えるのか」って感じですね。
理屈ってのは、要するに骨組みだと思うんですね。
その物事を構成してる本質的な要素ってのかな。
それを知った上で、それにどう肉付けして行くか、それはどう肉付けされているのか・・・みたいな事を自分なりに解釈する事で、初めて「自分のもの」になるんだと思うんです。
あと、理屈屋は感情論を基本にしてないんで、変に流されたりもしないんですよ。
一般的にどうだとか、みんながこうしてるとか、そんなのは大して重要じゃなくて、自分なりに出した答えこそが大事なんです。
俺的に感情論はトラブルの元凶という印象が強いんで、感情に流されない為にも理屈は大事なんですよね。
『人生を暇潰しだと思っている』
これは上の2つと真逆みたいな部分でもあるんですが、自分というものの本質って意味では、上の2つよりもこっちの方が根本にありますね。
人生は誰でも大なり小なり色々とある訳で、泣いたり笑ったりしてる内に歳食ってるんですよ。
結局、泣いても笑っても歳食うのは同じで、人生の本質は「寿命の限り生きる」って事だけなんですよね。
そこに笑ったり泣いたりって要素は全く含まれてなくて、どう生きるかはオプションというか、トッピングみたいなもんなんじゃないかと思うんです。
よく人生を白いキャンバスに例えたりしますよね、あれですよ、言わば。
人生自体はただの真っ白なキャンバスで、どうせキャンバスなんだからなんか描こうよと。
どんなもんを描くかは自由だし、どんな色を置くのかも自由。
欲しい絵の具が無いなら探してくればいいし、他に無い色なら作ればいい。
いずれにしても、生きてたらキャンバスが真っ白なままじゃ終わらないでしょ?って事なんだと思うんだけどね。
要は、笑ったり泣いたりとか色々あるけど、そのどれもがキャンバスに置かれた色なんですよ。
人生なんかそもそもが何も無い舞台なんだから、そのままじゃ果てしなく暇でしかないですよね。
だから、その暇潰しをする為に、楽しい事も辛い事も存在するんですよ、多分。
死にたくなるほど苦しい状況で、泣いて喚いて逃げ出したくなってても、それも全て暇潰しなんですよ。
まぁ、ある意味で寂しい考え方でもあったりするんですが、所詮はその程度のもんだと思いますよ、人生なんてのは。
そこをどう盛り上げて行くかとか、どうテンションを上げて行くかって事なんじゃないですかね。
少なくとも、人生のデフォルトを「輝かしい素晴らしいもんだ」みたいに設定しちゃうのは違うと思うんですよね。
そういう根拠の無い理想ばっかり膨らませちゃうと、挫折を味わって必要以上に落ちてったりするんですよ。
日本は特にそういう理想論を軸にしたもんが多いんですけど、上手く行く事ばっかり前提にしたシステムってのはどうなんでしょうかね、大昔ならともかく。
ってな訳で、俺のちょっといいところ3つ、こんな感じです。
まぁ、裏を返せばちょっと問題なところでもあるんでしょうがw