『それはな、タクミ。一目惚れってやつだ』

 携帯電話の向こうから、どこか真剣さに欠ける声が聞こえてくる。

 中学時代からの友人、野木コウスケだ。

 コウスケは笑いを押し殺しているような声で、

『あぁ、ついにお前にも春が来たか! これはめでたい。うんうん、明日は宴だな。リョウにも電話しておかないとなぁ』

 なんて勝手に盛り上がって、春をとっくに過ぎたこの寒空の下、宴会を企画しだして。

「なに言ってんだよ! 集まらないよっ」

『そんなつれないこと言うなよ。俺たち三人、親友じゃないか』

「リョウはたしかに親友だけど、お前は悪友」

『ぎゃふん。そいつは切なかろうぜ』

 それからコウスケに訊かれるままに容姿や雰囲気を答えていくと、彼はどうやらその人物を限定したようだった。

『わかった。お前が見たのは高崎先輩だな』

「高崎先輩? そんな人知らないなぁ……」

 自分の学年でさえ、名前を知らない人がまだいっぱいいるくらいだし。

 するとコウスケは、はぁ~っと盛大にため息をついて、子供のいたずらをたしなめる親のような口調でぼくにゆっくりと――

『お前、ダメだなぁ』

「ほっといてよ!」

 しみじみとダメ出しされると余計に腹が立つ。思わず声を荒げてしまったけど、コウスケは全然懲りた様子もなく、あははと笑っていた。

『知ってたら今さら一目惚れなんかするかよ。いいか、タクミ。お前がメロメロになってんのは二年生の高崎ツキノ先輩だ。たしかに彼女は学校でもやたら目立つ美人だからなぁ。お前が惚れるのも無理はない。まぁ早めに告っちゃったほうがいいんじゃないか? 想ってる時間が短いほど、ショックは少なくてすむと思うぞ』

「玉砕前提で告白を促さないでよ!」

『あはは。とりあえず健闘を祈っておくよ。んじゃまた、月曜日にな』

 電話を切って、部屋のカーテンを少し開けてみると、黒い大きな雲が月明かりをさえぎっていた。

「ツキノ先輩、か……」

 どうしよう。

 いや、どうもこうもないんだけど。分かってるんだけど。

 でも……。

「告白かぁ」

 カーテンを閉めてベッドに倒れこむと、そんなときだけ月が姿を現しているような、そんな気がした。

 空が夕暮れ色に染まり始め、町も赤く染まっていく。
 通い慣れた商店街を歩くぼくの足取りはいたって軽く、それはようやく学校から解放されたことと、休日に作る予定のプラモに思いを馳せていることからきているに違いなかった。
 どちらかというと、ぼくは人前に出るのが得意ではない。部屋で趣味のプラモ作りに没頭している時間がなによりの幸せだ。誰とも関わらず、自分だけの時間と空間を満喫するなんて、あぁ、これほどの幸せがほかにあるものか。
 
 ――なんて考えは、次の瞬間には吹き飛んでしまっていた。
 
 風のような人だった。
 あたたかい春風のようにふんわりと、やさしい余韻を残してぼくの前を横切っていった女性。
 大きく潤んだ瞳。さらさらと流れる長い黒髪。おだやかな物腰。
 ほんの一瞬見ただけなのに、お気に入りのスクリーンセーバーでも太刀打ちできないくらい、その可憐な姿はぼくのまぶたと頭にしっかりと焼き付いていた。
 しばらくその場につっ立っていたぼくは、慌てて彼女の姿を追った。彼女が着ていた制服……あれはうちの高校のものだ。それを目印に次の角を曲がって――
「あ、あれ?」
 この時間帯は一日の日課を終えた学生やサラリーマンでごったがえしている。そんなに発展している町でもないくせに、ぼくがこうして急いでいるときに限って人が多いんだ。
 風のような人は、その名のとおり、風のようにふわりと消えてしまっていた。