今、ザンビアのルサカ空港にいる。
11日からJICA専門家として、当国の教材研究ワークショップで指導・助言をするため。
このワークショップでの面白い取り組みは、ザンビア国の通常の教師、JICAの教材研究プロジェクトにかかわっているザンビア人専門家、そして私と同行している日本人教師がそれぞれ、光の反射・屈折について同じテーマで同じ学校で、別々のクラスに授業をするという点。
まず、ザンビア人教師は、冒頭に光の反射の定義を確認して、「入射角=反射角」を確かめる実験を行った。そして、その後反射の法則の適用例について生徒に述べさせて(潜望鏡など)終わった。
次にプロジェクトに携わっているザンビア人専門家の授業。初めに、生活の中で鏡がどんなふうにつかわれているのかを生徒に挙げさせた。その後「入射角=反射角」の定義について教え、それを確かめる実験方法を考えさせるところで終わった。ただ、方法を考えさせるといっても、専門家たちがあらかじめ用意している実験(押しピンを使った実験)について思いつかせるという、ほぼ「こんなの生徒自身が思いつくんだろうか?」という実験だった。
三番目に日本人教師が行ったのは、まず、生徒に小型の鏡を持たせて、外に連れ出し、鏡の反射光を一か所に集める活動をさせ、その次に虫眼鏡を使って焦点で紙を焼かせる実験をおこなった。そこから、虫眼鏡は光を一点に集めるという事実から、虫眼鏡の両端にあたった光は大きく曲がる、つまり屈折していることに気付かせるという授業だった。
この授業スタイルで非常に興味深かったのは、初めのザンビア人教師は定義―>実験―>日常生活例という順で授業を行っており、次のザンビア人専門家は日常生活例―>定義―>実験という手順になっている。そして、最後の日本人教師はまず、実体験―>まとめ―>定義という形になっており、三者三様で光の反射(屈折)とはなにかという定義についての提示の仕方が異なっているという点。
これは途上国全般に見られることだけれども、まず定義を覚えて、そこから日常へ応用するという理論―>実例といった演繹的な授業が多い。一方日本の授業は日常生活や実例から想起させ、そこから一般化、理論化させる帰納的な授業が多い(ただし、あくまでも「多い」というだけで、演繹的な授業を好み実践・普及させているグループもある)。
ここで各スタイルの優劣を述べるつもりはないけれど、事実として先の演繹的な授業をしていた教師に対する参観者の感想は「教師が話す場面が多い」というものであり、帰納的な授業に対する反応は「生徒の考えを引き出そうとしていた」とか「活動が楽しそうだった」というものであった。
ヨーロッパスタイルの「教える授業」と日本式の「気づかせる授業」の対比がこれほどきれいに出た場面はなかったと思う。
その意味において、実のある出張だったと思う。
11日からJICA専門家として、当国の教材研究ワークショップで指導・助言をするため。
このワークショップでの面白い取り組みは、ザンビア国の通常の教師、JICAの教材研究プロジェクトにかかわっているザンビア人専門家、そして私と同行している日本人教師がそれぞれ、光の反射・屈折について同じテーマで同じ学校で、別々のクラスに授業をするという点。
まず、ザンビア人教師は、冒頭に光の反射の定義を確認して、「入射角=反射角」を確かめる実験を行った。そして、その後反射の法則の適用例について生徒に述べさせて(潜望鏡など)終わった。
次にプロジェクトに携わっているザンビア人専門家の授業。初めに、生活の中で鏡がどんなふうにつかわれているのかを生徒に挙げさせた。その後「入射角=反射角」の定義について教え、それを確かめる実験方法を考えさせるところで終わった。ただ、方法を考えさせるといっても、専門家たちがあらかじめ用意している実験(押しピンを使った実験)について思いつかせるという、ほぼ「こんなの生徒自身が思いつくんだろうか?」という実験だった。
三番目に日本人教師が行ったのは、まず、生徒に小型の鏡を持たせて、外に連れ出し、鏡の反射光を一か所に集める活動をさせ、その次に虫眼鏡を使って焦点で紙を焼かせる実験をおこなった。そこから、虫眼鏡は光を一点に集めるという事実から、虫眼鏡の両端にあたった光は大きく曲がる、つまり屈折していることに気付かせるという授業だった。
この授業スタイルで非常に興味深かったのは、初めのザンビア人教師は定義―>実験―>日常生活例という順で授業を行っており、次のザンビア人専門家は日常生活例―>定義―>実験という手順になっている。そして、最後の日本人教師はまず、実体験―>まとめ―>定義という形になっており、三者三様で光の反射(屈折)とはなにかという定義についての提示の仕方が異なっているという点。
これは途上国全般に見られることだけれども、まず定義を覚えて、そこから日常へ応用するという理論―>実例といった演繹的な授業が多い。一方日本の授業は日常生活や実例から想起させ、そこから一般化、理論化させる帰納的な授業が多い(ただし、あくまでも「多い」というだけで、演繹的な授業を好み実践・普及させているグループもある)。
ここで各スタイルの優劣を述べるつもりはないけれど、事実として先の演繹的な授業をしていた教師に対する参観者の感想は「教師が話す場面が多い」というものであり、帰納的な授業に対する反応は「生徒の考えを引き出そうとしていた」とか「活動が楽しそうだった」というものであった。
ヨーロッパスタイルの「教える授業」と日本式の「気づかせる授業」の対比がこれほどきれいに出た場面はなかったと思う。
その意味において、実のある出張だったと思う。