アメリカにて、日本からの電話
親からの実家の自己破産宣告
と共に、それとは関係無く全ての作品と6歳から命より大切にしていた画材たち全てを聞き母に理由無く捨てられた事を知る
そうして私の大学生活が始まった、泣きながら当日申し込んだOil Paintingの授業で
一つたまたま枠が空いてたのが良かった。
もう二度と油絵なんか描かないとか思ってたけど人生なにがあるかわかんないな
新しい絵の具もパレットも筆も、ピカピカにしている。新しい家族に買ってもらった私の大切な、新しい画材だから。
紫とピンクの、小学校で買う絵の具セットを
どこにでも持っていって、船便で持ってこれなかった
捨てられた画材は今にも夢にみる
気づいたらあの絵の具セットと同じ色の組み合わせのものばかり、買ってしまう。
こんな海外の大学で、諦めた留学も何故か無料で出来て、何故か日本語のカウンセラーも無料で心理療法もやっと受けられた 1年くらいもう受けてる。
中々日本語のカウンセラーがアメリカの大学のカウンセラーだということは珍しいらしく、近くのエリアの大学でもたまたまここだけらしい。
自分の治療と共に何が描きたいのか解らない心も再生していったように感じる
そもそも何が描きたいとか、長らく考えようと思うと苦痛のち頭が麻痺しだしてた。
だから、楽しんだり、うまくいかんときは楽しくないときもそれはたまにあるけど、浮き沈みしながらも考える事ができるようになった事自体進歩だな。
魂が生まれつき変形しているのだと思っていたけど、死ななくても人間は生まれ変われると思えた。
ジンセイバンジサイオウガウマ
(気を抜くなよ、という自戒もこめて)
すぐに私の全部が『治る』ことはないと思う
長年蓄積されたものだから、当たり前だ。
でも、波に引き戻されながら私の頑なだった形が変わっていって、生きながらにして生まれ変われることはきっと死ななくてもできるんだと、
人生で初めて、『助けて』と言って、助けてもらえたことで色々過去に助けて貰えてそれを踏みにじったり理解できなかったことに気づいた。
でも、助けてもらうという経験をやっといま感覚を伴って積めたのだと思う。
やっと、生きていくことそのものに
希望というものを
鎖としての言葉ではなく、感覚として持てるようになれたのは大きい。
(言い聞かせや、心につきすぎた嘘ではなくて、死なないための強迫観念や誰かを心配させないためではなく…。)
絵の具が捨てられて泣いてた時
夫が泣いてくれて、
だってあなたの痛みは全部解るわけじゃないから泣くのはやめたかったけど、あまりに酷すぎる、あなたの全てだったのにと泣いてくれて
私のために泣いてくれる家族って初めてで泣くのをやめようと思った。
自分が傷ついて傷つく人もいるんだよ解れよってあの時言ってくれた人がいたけど、実際に見ないと解らなかった。
(きっとそういうことは沢山人にさせてきたのに、以前は全く実感として出来なかった。
振り返ると色んな人に、ごめんなさいと思う。)
私、ずっと家族が『可哀想』とか『心配』で泣いたことはあっても、
私が家族に寄り添ってもらったり
共感してもらったことって、ほぼ記憶の中で無かったなぁ。父親に1回10万円貸してもらって助けてもらったときとかくらいかなぁ。
子供を愛す能力が無い人っているんだっていうことにやっと気づけたんだ。
そして、それを受け入れたら、楽になれた。
まあ姉も可哀想だと思ってたけど、全部私を除外しての同情だけしてきたのも変な話だし。
なんで気づかないのかとか、自分を責める気にならんね。私はサンドバッグやったけど、それでも立ち直れるくらい強くて優しかったって事にしとこう。物語なんかさ全部あとがきなんやから。
私はすぐ色々忘れてしまうから、先生のレクチャーの言葉をここに残そうかなと思う。
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たとえば、
**ミア・ベルジェロン(Mia Bergeron)**というアーティストがいます。
彼女が言っていた言葉が、私はとても印象に残っています。
彼女はこう言っていました。
>「キャリアのある時点で、私は自分自身のスタイルを受け入れ、愛することを学んだ。」
これは、本当に大事なポイントです。
私たちはつい、
憧れのアーティストを見て、こう思ってしまいます。
「サージェントみたいに描きたい」
「モネみたいになりたい」
「この人みたいなスタイルを持ちたい」
(ちなみに、なぜか私が今思い浮かべたのはサージェントとモネでした。笑)
でも、忘れてはいけないのは、
あなたはサージェントではないし、モネでもない。
あなたは、あなた。
あなた自身が、
自分だけの最高のバージョンを目指すべきなんです。
私はこれを、
**「アクセント(訛り)」にたとえるのが好きです。
例えば、誰にでもその人特有の話し方、アクセントがありますよね。
そして、
もし無理にそのアクセントを変えようとしたら、
周りの人たちはすぐに気づきます。
それは、不自然で、ぎこちないから,
絵を描くスタイルも、それと同じです。
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バルセロナ出身の、あるチェロ奏者の話です。
(※講師の故郷もバルセロナだそうです。)
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このチェリストは、
なんと93歳になっても、
毎日何時間も練習を続けていました。
ある日、誰かが彼にこう尋ねたそうです。
「どうして93歳にもなって、毎日そんなに練習するんですか?」
すると彼は、にっこりして、こう答えたそうです。
「最近、やっと上達してきた気がするんだ。」
私はこの話が本当に大好きです。
なぜなら、このエピソードが教えてくれるから。
「完璧になろう」という考えは、追いかけても決して到達できない。」
「それでも、続けることには意味がある。」
まるで、「ロバとニンジン」の話みたいです。
ニンジン(理想)を追いかけても、永遠に届かない。
でも、追いかけ続けることそのものが、意味なんです。
だから私は、このチェリストの答えを
とても賢いなと思いました。
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どんなに偉大なアーティストも、完璧になった人はいない。
だから、
完璧を目指すことに疲れるのはもうやめて、
「自分が何を描きたいか」を探していきましょう。
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ずっと絵を描くことが怖くなって、楽しくないことが怖くて、初めて『助けてもらう』とか、人間的にも技術的にもいい先生を信頼できて教われる経験が出来て良かった。
最近読んだ本の引用も残しておく。
『言語でしかものを考えることも思いのたけを表現することもできない凡人たちにとって、脳内で暴走するオリジナリティなんていうものは言葉の約束事の掌の上で暴れているに過ぎない、或いは言葉の性質がちょっとした気分を壮大な個性のように錯覚させるだけであって、若い自分が思うほど自分は大して自由な発想など持ち得ない。これはひょっとすると若者にとっては多少の落肌を持って受け止められることかもしれませんが、私はそう悲観することではないように思います。自分の没個性の発見は、他者の特別さの発見とセットになっているからです。なんだか自分は社会にすんなり馴染むタイプじゃないかもとか、 私って個性的だからみんなとうまくやれないとか、こんな特別な感覚になるほど繊細な人間は世界で私だけかもとか、リア充なんてみんな爆発すればいいのにとか、若くて自意識過剰で友達付き合いがやや下手な人の脳内に必ず一度はよぎる甘い誘惑は大抵思い過ごしであって、多くがとるに足らない没個性的で平均的な人間なわけですが、そう思うに至る過程は、自分が特別な程度には一億人のそのへんの人たちも全員特別だという当然の敬意を獲得することでもあるのです。そう考えると何か特別な存在じゃなきゃと思って必死に唾液を売ったりセックスしたお金でおしゃれなホテルでアフタヌーンティーしたりしなくても心穏やかに過ごせるというものです。当然、自分が特別な人間であるという思い上がりの終わりは、優しさの獲得の始まりにもなります。
若い女の心なんてそう簡単に整うものじゃないのだから、せめて言葉を整えてみることで、少なくとも誰かを泣かせたり自傷的な遊びで疲れたりする青春はもう少し気楽なものになる気がします。逆に言えば、 言葉について自覚的であればあるほど、自分の凡庸さは悲観すべきものではないということに気づき、幻の「自分らしさ」を巧みにかざして、生活の荒野を堂々と歩けるものだとも思うのです。』
ーー
『「その人達はなぜ気づかなかったのだろう 清浄と汚濁こそ生命だということに」。ナウシカはそのような生命観を持って終わります。私は腐海の意気で爛れた肌を纏って、それでも時には清浄の場所や、またちがう汚濁の場所を彷徨い生きています。私は腐海を生き抜いてよかったのだと思うのです。汚濁の側を知ることは、自分が清浄の側に立っていると信じられる時でも、汚濁を悪敵のように排除しないでいられる気がするからです。私は到底ナウシカのようにはなれず、空は飛べないし、自分の生活を守りたいし、
仲間が傷付けられれば腹も立つし、かつて期待したほどの才能もなく、どこまでも凡庸なままの大人にはなったけど、世界を二色に分けてしまいたい欲望に駆られた時には、時々この物語の言葉を思い出します。』
(引用:鈴木涼美『娼婦の本棚』)
あの頃鈴木涼美さんより、鈴木いづみを先に好きになったけど
鈴木涼美さんは死ななかった『先』や『変化』を見せてくれる。
自殺した作家たちは痺れるカッコイイ切れ目を沢山みせてくれるけど
その先を示してくれないことがさみしくもあり不安だし不満だった
鈴木涼美さんの変化は、椎名林檎の新譜を聴くように楽しみにしてたり
ああ、作家が同じ時代に生きていることの有り難さをしみじと感じるわ。
サンフランシスコの街で鈴木いづみの本があったんだよね。英訳でさ。特集されてたよ。
ここに鈴木いづみがいたなら伝えたかった、と思った。

サンフランシスコカストロ地区にて
展示楽しみだけど怖いけど楽しみ。あとは額装して搬入するのみ。
(あぁ、誰がが欲しいと言ってくれたらいいな、持って帰ることになっても飾るけどね。)
海外での初展示だー
私は、私の人生をつづけよう。なににならなくても。
なにかになるより自分をつづけることは価値があり、誰にも奪う権利がないこと。
嘘は苦しいこと。
苦しかった、辛かった、悲しかった、そういう感情を認めることから強さが芽生えはじめること。
感情を押し込めても、抑圧しても、分離した自分や記憶がそこに冷凍されただけで
無かったことにはならなかった。感情を認められないことこそ弱さだったと気づいたり。
辛かったとか、間違っていたとか、自分のネガティブな感情を認めることが、弱さの克服になり
そこから1を積み上げていく僅かな土台になるんだと、やっと思ったよ。
『だから、たとえ不格好でも、
「自分を祝福していい」と感じられたのです。』
『大事なのはこれです。
どんなに時間がかかっても、やめなければ必ず前に進める。
途中でやめたら、そこですべてが止まってしまう。』
これも先生の言葉
だらしない私、うだうだしても
いつでも気軽に描くことに戻ってこれますように。
これが今の自分の精いっぱい
昔がどんなんだったか、ここのブログでしか残ってないけど
それでもなんだか、今の自分のほうが好きなように
今の絵のほうが、好きだな。