全国浄土宗青年会(災害支援特集編)
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聴き役の拾い話(7月7日)

七夕。
「1年に一度でも会えるならいいさ…」
震災で亡くなられた方のお参りに来られた方が
ご遺骨に向かってつぶやいていた。

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会う度に、同じ話を繰り返す方がいる。
「津波の後、胸まで水に浸かって、
 瓦礫をかき分け乗り越えて家まで行った。
 まだ息がありながら浮いている人もいた。
 どうすることもできなかった。
 家について声をかけたら、かすかに声がした。
 父ちゃんと母ちゃんの声だった。
 辺りも暗くなり、懐中電灯照らしながら探した。
 父ちゃんも母ちゃんもいたけど瓦礫が邪魔して
 そこまで行けなかった。確かに生きてたんだ。
 津波で死んだんじゃない…凍死だよ。
 俺みたいなのが、あと5人いたら
 助けてやれたかもしれない
 そう思うと無念でねぇ。」
きっと同じ話を一字一句違えないで話すことが
突然の別離を受け入れていく過程なのではないか
と思えてならない。

聴き役の拾い話(6月18日)

震災百ヶ日の法要中、詠唱の皆様による涙ながらの光明摂取和讃。
家族、 兄弟、友達のあたたかい記憶。
まだ終わってもいないし、何も始まっちゃいない。

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津波で被災されたお寺さまのお檀家さまのご遺骨をお預かりしている関係で、
合同葬儀並びに百箇日忌法要の会場にお寺の本堂をお貸しした。
ご遺族親族等の皆さま本堂満堂の御参列。
外にもお焼香に訪れた方々がいらっしゃった。
法話を聞いている間もご法要の間も目頭を押さえている方が多かった。
必ず人は死による別れの時を迎えるとは知っていても
突然の別離を受け入れることは難しいのかもしれない。

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ボランティアに何度も通っていたからということで
百箇日の法要に参列しないかと声を掛けていただいた。
それはそれでありがたいことだと思った。
しかしながら何とも言えぬ違和感を拭えなかった。
そうやって声を掛けてもらう為に何度も通った訳ではないのだが・・・

声を掛ける掛けないという線引きはどこにあったのだろう?
何度も駆けつけた者にしか声が掛からないのだろうか?
ボランティアには通えなかった方の中にも参加したい人はいるだろうに。

こういう思いが湧いてしまう自分も嫌になる。
そしてボランティアを続けることを敬遠する気持ちも湧いてくる。

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宮城だけでなく岩手でも百箇日を迎えて法要を勤めるお寺はある。
単なる法要だけではなくて合同葬をお勤めになるお寺もおありだ。
おつとめの次第をどうしようかと悩んでいらした。
たくさんの御霊位をどのようにおつとめしようかと悩んでいらした。
そしてどんな形で和尚さま方に手伝っていただこうかと悩んでいらした。
今日はどのようにおつとめをなさったのだろうか。。。

聴き役の拾い話(6月17日)

葛岡斎場に出かけてきたときのこと。
臭気が漂っていた。
湘南ナンバーのアルミコンテナつき2トンレンタルトラックが横付けされ
防臭の為の袋に入れられた棺が降ろされた。
このところ亘理町と山元町で仮埋葬された方の御遺体が掘り出され
次々と荼毘に付されている。

亘理町の職員さんが、ご遺族に付き添い、事務確認をしていたし、
トラックから黙々と棺をおろしていた。
葛岡の職員さんもいつもより丁寧に仕事をしているように見受けられた。

仮埋葬をした多くの市町村が
2年後に掘り出して火葬にすると言っていたのだが
思いのほか早く火葬に出来るようだ。

新しい棺に移しかえて運んでくる所
掘り出したままで土の着いたまま運んでくるところ
とさまざまだそうだ。
大変な仕事がまだまだ続く。

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震災直後から火葬場の窯はフル回転状態だった。
24時間体制に近い状況でずっと御遺体を火葬してきていた。
しかし窯に無理をさせて火葬を続けていると窯が傷んでしまう。
だからなるべく冷やす努力を続けつつ火葬を続けてきていた。
しかし、ついに4つあるうちの1つが耐えられなくなってしまった。
一旦は土葬にされた御遺体を予定を早めて火葬される方が増えてきているというのに・・・

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人間の身体は火葬する際には軽油40リットル程度必要だそうだ。
ところが津波で亡くなった御遺体は更に一割くらい余分に燃料が要るという。
御遺体に含まれる水分量が多くなるからねぇ、と火葬場の方が仰っていた。

聴き役の拾い話(6月16日)

久々に石巻入りしたら自衛隊を見かけなかった。
大きな作業が終わったということだろうか。
新たな電信柱が設置されて電線が敷設されていっていた。
石巻港に打ち上げられていた大型船が撤去されていた。
いずれも少しずつではあるが、復旧が進んでいる証左だろう。

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同じ被災地宮城でも
浄土宗寺院のある仙台・石巻・気仙沼・山元では
それぞれ状況が違うことをあらためて実感。
その土地の風土を知らないと有効な支援が出来ないことを痛感した。
片付け度合い、経済活動の具合、避難所や仮設住宅の雰囲気
行政の復興施策待ち状態など勘案することが沢山ありすぎる…

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震災直後に被災地外から電話がつながり始めたころ
「何が欲しい?すぐ送ってやるよ」と言われたが
「ここは、大丈夫」と答えるしかなかった。
何でも欲しかったし、すべてのものが足りなかった。
でも、どこに何が、どれくらい足りないのか、
どこで何を欲しているのかがわからずに
「とにかく何でもいいから送ってくれ」とは言えなかった。
「お前のところで欲しいものだよ」といわれても
【本当に必要としているのは俺じゃないし、家族でもない】との思いが強かった。
多分、人の好意を無にして…と思われたに違いない。

聴き役の拾い話(6月15日)

震災当初、電気が通じると
町の中のあらゆる自動販売機から飲み物が消えた。
ただ、結構残っていたのは
『無糖』『ブラック』表示のある缶コーヒーだった。
甘いもの、というか味の濃いものが好まれたようで
甘くなく、あまり味の濃くない無糖系のものが敬遠されたようだ。

震災後、温かいものを食べたり飲んだりした時
「うわ~、あったかい…」と感動したのに
今や「チンしておいて」「随分、熱いこと」「何だい、味が薄いねぇ」
と言いたい放題になっている自分がいる。
忘れん坊で、我がままで、自己チューな姿に戻ってしまった。

街並みや景気が元に戻るならいいが
自分勝手な自分に戻るのは如何なものだろうと反省。
戻りたくても戻れない、戻そうとしても戻せない【時間】と【尊い生命】がある。

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何度も被災地へ支援に入る中でさまざまに思い感じることがある。
人によって、その思いや感じ方は違っているはずだ。
また、作業能力も気力も個々人ごとに違っているはずだ。
同じ支援に来ていても支援の時間や量の差が出るのは当然だと思う。
残念なことに、支援にかける差が許されないような空気や雰囲気を感じることがある。

そのため、支援に向かうことが苦痛に感じてしまう人もいる。
せっかく支援に来ても、疎外感を感じてしまう人もいる。
何度も支援に赴きたくても躊躇してしまう人もいる。
非日常の環境下においては仕方がないのかも知れないが・・・

聴き役の拾い話(6月14日)

被害がないと自己申告していたご寺院も
一部損壊認定は当たり前。
建物によっては半壊認定もあるとか…

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仙台市若林区荒町の文具店で街角コンサートが開かれた。
近所の人たちがやってきて結構な盛り上がりだった。
町・地域の結びつきが試された震災だったと思うし、
逆に震災で結びつきが生まれたところもあるだろう。
しかし、前々から絆の強かった海辺の集落が殆ど地図上から抜け落ちてしまった。

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捜索活動・瓦礫の撤去作業を続ける警察や自衛隊の写真が
新聞に載っています。
被災は現在進行形です。
現在完了形になりつつあるところ、
過去完了形になってしまわぬように
「こころをひとつ」にしていかなければなりません。

聴き役の拾い話(6月13日)

福島浜通りで「原発事故便乗」空き巣が多発


福島第1原発事故で立ち入り禁止となった半径20キロ圏の警戒区域を含む
太平洋側の浜通り地方の6警察署管内で3~5月の空き巣認知件数が
前年同期の約5倍の212件に上った。

東日本大震災と原発事故の混乱に乗じた犯行がほとんどだろう。

第1原発立地町で全域が警戒区域の大熊町などを管轄する双葉署では
前年同期の4件から108件に急増した。

前年同期に1件もなかった現金自動預払機(ATM)を狙った
窃盗事件も32件発生しており、被害額は1億円以上とみられる。

という福島県警の本日の発表を、河北新報社が報じている。

聴き役の拾い話(6月12日)

震災から3カ月目の土曜日、町中の道路は結構混んでいた。

全く普通に生活できる人とそうでない人の差がくっきり分かれている。
津波や揺れによって建物も生活も破壊された地区の道一本となりには
以前の暮らしと風景が存在する。
この違いは何なのか、と今でも思う、
というより今だからこそ思うのかもしれない。

目に見える違いはそれとして、隣接地区にも悩みはあると思う。
生活行動は徐々に戻ってはいるが、まだ規制が残り、自粛が求められている。
また、臭いもきつくなっている。

自分の家で、家族と共に生活できるだけでいいだろう、
という自分の中で湧きあがる「ありがたい気持ち」と
他者からかけられる「幸せを感じろ的な呪縛」があるように思えてならない。

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昨日(6月11日)は
お預かりしているご遺骨をお参りに来る方が多くいらっしゃり、
お命日であること、それが即ち大震災の日であることを
再確認いたしました。

聴き役の拾い話(6月11日)

これからの災害ボランティア活動にあたっての注意点。

6月に入り、湿度、気温の高い日が多くなってきました。
東北地方各県においても、晴れた日の最高気温は
26度~29度と高いため、脱水症状や熱中症が心配されます。
今後、被災地で災害ボランティア活動に参加する予定のある人は
 1:こまめに水分を補給 ※塩分(塩飴等)の補給も必要
 2:なるべく日差しを避け、日陰に入ったり、帽子を着用
 3:虫除けスプレーの準備
に留意してください。
なお、体調不良を感じたときは、すぐに休憩をとってください。

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災害ボランティア活動保険について。

東日本大震災について、ボランティア活動の予定が決定された人には
ボランティア活動中の様々な事故によるケガや損害賠償責任を保障する保険があります。
活動場所と自宅との往復途上の事故も補償の対象となります。
ボランティア自身の食中毒や感染症も補償されます。

全国社会福祉協議会が実施しているボランティア活動保険の例

保険のタイプ:天災Aタイプ(地震、噴火、津波によるケガも補償されます)
補償期間  :1年間(4月1日~3月31日の年度単位)
費用    :年額490円
加入対象者 :被災地での活動予定がある人のみ
加入窓口  :お住まいのある各市町社会福祉協議会
お問合せ先 :お住まいのある市町社会福祉協議会・ボランティアセンター

聴き役の拾い話(6月10日)

広島市には5月1日までに34世帯106人が避難している。

広島市は東日本大震災で同市内に避難している被災者のうち
20人を臨時職員として採用することを明らかにした。
それにともない人件費など約900万円を盛り込んだ補正予算案を
6月の定例市議会に提出する見込みだということだ。


採用対象は、震災で仕事を失った被災者で、期間は3カ月の予定。
その後については、必要に応じて延長を検討する予定だという。

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広島市被災者支援ボランティア本部
[住所]広島市中区千田町1-9-43 広島市社会福祉センター3階
    広島市社会福祉協議会 ボランティア情報センター内 市民福祉サロン
[電話]082-544-3399 [FAX]082-544-3404 [Email]voinfo@shakyohiroshima-city.or.jp
[開設者]広島市災害ボランティア活動連絡調整会議

☆ボランティアの依頼を受け付けています☆
[受付時間]電話:9時~17時 / FAX・Email:24時間
[必要情報]お名前、連絡先、相談内容など

広島市内に避難・転入して来られた被災者の皆さまのお手伝いを受け付けています。
被災者の皆さまと、被災された方を支援したいというボランティアとの間をつなぎ
実際の支援活動にむすびつける活動をしていますので、どうぞご相談ください。
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