元政治犯への嫌がらせと脅し

これまでと同様、多くの元政治犯・思想犯は解放後にも恣意的な

措置を被っている。労働の権利や医療を受ける権利等の基本的な

権利を取り上げられている人もいる。

・アブデル・マジッド・ベン・タハール元受刑囚は10月12日に

死去した。彼はイスラム原理主義運動「再生」に参加した容疑で

12年9ヶ月の禁固刑判決を受け、8年間服役の後、2002年4月に

自由の制限付で釈放された。脳腫瘍のために検査を受けるまで

1年の間激しい頭痛を訴えていた。彼は亡くなる前に

Amnesty Internationalの代表に次のように語っている。

釈放後数週間に渡り、警官が日に何度も彼の家にやってきて

寝室のベッドに近づき、彼が死んでいるかどうか確認していた。

アブデル・マジッド・ベン・タハール元受刑囚はパスポートを

取り上げられており、外国へ治療を受けに行くことはできなかった。

元思想犯が〔釈放後に〕平和的な政治活動を再開したり当局を

批判したりすると、警察の定常的な監視下に置かれた。

彼らは不平等な裁判により再び逮捕・投獄される危険があった。

10月にはジャーナリストで元思想犯受刑者のアブダラ・ズアリが

チュニジア南部メドニンの地方裁判所で懲役13ヶ月の判決を受けた。

地方裁での判決は以前の判決(元受刑囚への異動制限の違反と

他の4つの不敬罪による懲役9ヶ月)を確認するものとなった。

彼は2002年9月に行政の管理措置違反のため懲役8ヶ月の

判決を受けていた。彼の釈放を求める国内外のキャンペーンにより、

2002年11月5日に彼は釈放された。

(了)

出典:Amnesty International
・禁止されているイスラム原理主義運動グループエンナーダ(再生)に所属していた

ハビブ・ラッダーディは懲役17年の刑を受けていたが、

3月22日にアル・ハウアレブ監獄で死亡した。ラッダーディ元受刑囚は3月11日に

脳出血で倒れ、まずケロアンの病院に入れられ、ついでスースの病院に移された。

遺族によれば、医師はラッダーディ元受刑囚をチュニスの病院に移して治療

するよう勧めたが、元受刑囚の監視に当たっていた官吏が移送を妨害した。

3月21日に元受刑囚の近親者が最後に見舞った際には、元受刑囚は片手と

両足をベッドに縛り付けられていた。彼は翌日死亡した。

・ズハイエ・ヤヒャウイは虚偽の情報流布とインターネットの濫用の容疑により、

2002年に不平等な裁判の結果、2年4ヶ月の懲役の判決を受けた。

ヤヒャウイ元受刑囚は5月中旬にハンガーストライキを始め、それは42日間続いた。

ヤヒャウイはみずからが拘留されることになった事情と、監獄の〔劣悪な〕生活

条件に対して抗議を試みたのであった。Amnestyが得た情報によれば、

ヤヒャウイ元受刑囚が拘留された部屋には本来の収容能力を上回る

人数が収容されており、適切な医療は行われず、水の配給量が厳しく

制限されていた。最高裁は7月に彼の有罪判決を出した。

ヤヒャウイ元受刑囚の無実を訴えるキャンペーンがチュニジアの

内外で行われ、彼は11月18日に自由の制限付で開放された。

〔訳注:ズハイエ・ヤヒャウイ氏はチュニジアの反体制インターネット

マガジン『TUNeZINE』を主宰しており、その反体制的な言説が逮捕

につながった。ヤヒャウイ氏は2005年3月に30代の若さで心臓発作に

よりチュニスで死去している。彼の疾患はチュニジア当局による

拷問の結果といわれる。『TUNeZINE』は2006年現在更新が止まっている。〕

出典: Amnesty International
残酷で非人間的な拘留の条件

内外の人権擁護団体からの圧力が高まり、

ベン・アリ大統領が2002年12月に任命した拘留条件調査委員会が

2月にレポートを提出した。収容施設が収容能力過剰に陥っている

という重大な問題を委員会は告発し、管理能力のある人員を雇用し、

囚人の健康状態を改善するのに必要な機材を追加投入するべきである、

と結論したとみられる。政治犯と思想犯は常に差別を受けている。

政治犯は独居房収容の延長や医療拒否などの恣意的な措置を受けている。

(続く)

出典:Amnesty International
人権の擁護者

これまでと同様、人権の擁護者、特に弁護士は合法的に

活動していながら威嚇や嫌がらせの手練手管の被害者となった。

多くの人権擁護団体は合法と認知されておらず、活動が制限

されていた。治安部から虐待された人権擁護者の訴訟請求を

司法当局は棄却したとみられる。

・弁護士で人権擁護活動家でもあるラディア・ナスラウィ氏は、

7月13日にチュニジア自由作家連合の集会が開かれた建物に

警察が設置した立ち入り禁止のロープを越えた後に、

壁に押し付けられ殴打されたとされる。

6月に当局はナスラウィ氏が設立した人権擁護団体である

「チュニジアの拷問に反対する会」の登録を拒否していた。

(続く)

出典:Amnesty International
拷問

これまでと同様、囚人はとくにチュニスの内務省の敷地内で

拷問と虐待を受けた。・チュニスの南部、ザルジスで〔2003年〕

2月に約20人がイスラム原理主義のウェブサイトを閲覧した

容疑で逮捕されたが、国家公安委員会の手で彼らは内務省内

で秘密裏に拘留されていた。逮捕者のうち4名は拘束後10日間の

間に身体的・心理的な虐待を受けたと主張した。

彼らの訴えによれば、彼らは殴られ、天井から吊るされ、

電気ショックを与えると脅された。

そのうちの1名は、母や姉(妹)を連れてきて目の前で服を脱がせて

拷問してやると脅された。囚人たちの審理は

年末になっても始まらなかった。

(続く)

出典:Amnesty International
人権を侵害する「対テロリスト」の方策

ベン・アリ大統領は〔2003年の〕国際人権デーにあたる

10月10日に「対テロリスト」法を施行させた。

この法律の条文中の「テロリズム」の定義はあいまいであり、

〔「テロリズムを」〕広い意味で解釈する条文の解釈の仕方次第では、

さらにいっそうの人権侵害が行われる可能性がある。

表現の自由を実行することが「テロリズム」行為とみなされ、

不平等な裁判により軍事法廷で重い懲役刑が課されうることを

Amnesty Internationalは懸念していた。この法律により留置は

無期限に延期することができるようになった。

さらにこの法律では、重大な基本的人権侵害を被る可能性のある

本国に移送される人々に対する保障がまったく考慮されていない。

既存の「対テロリスト」法制、とくに軍事裁判法の第123項、

刑法の第52項は、平和的な反体制活動を犯罪と決め付ける

ための根拠として常に援用されてきた。

(続く)

出典:Amnesty International
9月にチュニジア外務省の主催でEUとチュニジアの協議会が開催された。

Amnesty Internationalは「テロリズム」との戦いに関する法案(上記参照)

にたいする懸念を表明した文書を発表した。会議中にEUはチュニジア

当局が人権状況の改善、とくに表現と集会の自由にかんして措置を取る

ように求めたとみられる。チュニジア当局は、サハラ以南出身のアフリカ系

不法移民数百人が地中海を渡ろうとしているときに逮捕した。

イタリアとチュニジアは不法移民の取締り協定を結んでいる。

それにより、事情聴取を受けた者はチュニジア帰国後には

監視下に置かれることになる。

チュニジア政府は7月にヨーロッパへの不法移民取締りの

ための一連の対策を発表した。

(続く)

出典:Amnesty International
コンテクスト

〔2003年〕7月にズィン・エル・アビディン・ベン・アリ大統領は、

5年間の任期の4期目に向けて2004年大統領選挙への立候補を表明した。

〔訳注:2004年10月に同大統領は得票率94%で勝利している〕2002年5月の

投票により承認された新憲法により、大統領立候補の年齢制限は

70歳から75歳に引き上げられ、彼は好きなだけ立候補できるようになっていた。

選挙法の改正を含む法律は8月に施行された。

この法律では、特定の候補者やリストに対して有権者に投票や投票拒否を

呼びかけるために、内外の民営テレビ・ラジオを使用する行為を禁止している。

違反者には25 000ディナール(約17 000ユーロ〔約22万円〕)の罰金が科せられる。

(続く)

出典:Amnesty International
国際的な人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル

世界の人権状況に関する調査をまとめたレポートを公開している。

これから数回にわたり、チュニジアの人権状況に関する

アムネスティレポートの翻訳を掲載する。

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チュニジア共和国首都:チュニス国土面積:164 150 km2

人口:980万人国家元首:ズィン・エル・アビディン・ベン・アリ

政府責任者:モハメッド・ガヌチ

死刑:事実上廃止

女性に対するあらゆる差別の廃止協約:留保付批准

女性に対するあらゆる差別の廃止協約の任意条項:批准せず


「テロリズム」に対する戦いに関連した法律が〔2003年〕12月に施行された。

この動きにより、チュニジアで人権の状況がさらに悪化するのでは

ないかという懸念が生まれた。拷問がとくに内務省の建物内で

行われているという新しい報告が入った。意見を表明しただけで収監された人々を

含め、数百人に及ぶ政治犯は拘禁されたままであった。

10年以上収監されたままの人々も多数いる。

これまでと同様、実際に反体制の人々または反体制の疑いがある

人々は不平等な裁判の結果、重い禁固刑を科せられている。

広義の政治犯は常に行政処分(恣意的であることもしばしば)の対象となり、

移動の自由と労働の権利を制限されてきた。

政府は刑務所および拘置所の待遇改善に関する提言を行ってはいるが、

収容者は情報から隔絶され、医療を受けられずにいる。

(続く)

出典:Amnesty International