よく、お金は追えば逃げますとか

手放せば手に入ります。とか

求めれば手に入りますとか

いろいろ言われますが

結論から言うと


どちらが正解で
どちらが不正解ということはありません。



どちらも関係ない。


これが答えです。



求めていようが

求めていなかろうが

入るときは入るし

入らないときは入らないし


精神性とか
人間性とか


ぜんぶとっぱらって
みませんか?



目の前に1000円を出されて
いりますかいりませんか?


手に取ったら

それは

取得であり

いいですといったら

それは

拒否です


ここに人間性がないのは
明白ですよね。




だから


ああこれは私の行いが
という発想が出てきたら
それは全面否定してください


私が今ここにいるのは
これまでの行いがとか
いろいろ後悔があると思いますが

関係ありませんので

幻想は、捨ててください。


未来の話をしてください。


昨日どんなことを考えて
どんな道を通って家に帰ったか?


よりも


明日どんなことを考えて
どんな道を通って家に帰ろうか?


の方が建設的です。
先日の日記にて

ワークと名づけましたが

ワークという言葉が

私達は嫌いですので


やってもらいたい提案
オファーということにします。





ということで


本日も提案です。





本日の提案



「周りに存在するすべての人を
頭の中で消去する」

いつですか?


「今です」



往々にして

やりたくないことというのは

自分が他者の何かをきにしているからです。

他者が消えていなくなれば

やりたくないことはなくなってしまいます。




うまくいかないことがある場合

うまくいかないことが問題なのではなくて

うまくいかないことが誰かに知れることが

問題だと感じているのです。



他者がいなくなった世界は

さぞ生きやすいでしょう。


そして


さぞつまらないでしょう。



だからこそ


導き出されることは


人生なんてものは、生きやすくなったとたん


つまらないものとなる。


生きにくさがつらさではなく


本当のつらさは生きやすい環境なのです


便利なものでありふれた現代人が


不幸なのは


この世界が生きやすいからです。




前回の




「ではどうする?」の答えです。




テクニカルな思考が必要なのです。



この世界は情報社会になったのではなく
要らない情報と必要な情報を
自分で選択する主体性社会になったのです。



ということは
宗教と同じで


信じなさい
信じなさい


というのは信じてもらえない情報を私達は持っています。
ということの逆説なのかもしれません。
こうすればうまくいくということを信じないことが
うまくいく秘訣なのかもしれません。



いまこの文章を読んで
そんなことをしたらコミュニケーションが破綻すると思ったあなたは
この情報社会によって毒された可能性があります。

これも本当は信じてはいけません。


なにがなんだかわからなくなってきましたか?



【ワーク①】


疑うこと。
信じないこと。


矛盾があるようですが
このワークを行うことで
考える自分を
もう一度発見できるかもしれません。

できないかもしれません。


どちらにしろ
私達には関係の無いことです。







あ、そうそう排他的という言葉をご存知でしょうか?

信じないことを周りに並べると

真ん中に本当に信じることが浮かび上がるのです。




とことん周りの状況や情報を
疑ってみてください。






さて、ここである場面を想像して下さい。










だからお前は何をやっても駄目なんだ!!!


AがBに対して怒鳴ってます。


これ、よく目にする風景ですが


ちょっと立ち止まって


考えてみてください。


立ち止まるとはいえ


喫茶店に入ってという堅苦しいものではなくて


運転していた自転車を止める


くらいの軽い感じでどうぞ。




まずは






「だから」


「お前は」


「駄目」


単語で切ってみました。



これを分析しますと


おそらく何か失敗したのでしょう。
そのタイミングで言われるものだから
だからという因果はその前に行われた
失敗についてのことを言っているのでしょう。
しかし、だからという接続詞は
ここでは必要ありません。

なぜなら
その失敗はAとBという二者のなかで
成り立つルールの場合が多いからです。

簡単に言うと

スウェーデン語で
「だからお前は駄目なんだ」
と仮にAが言ったとしても
スウェーデン語がわからないBにとっては

「なんだかすごい剣幕で何かを言っているな」

ぐらいの情報になってしまうのです。

AとBが日本語を話せる
AとBは教える教わるの関係である。

この二つのルール上で成り立ち
なおかつ言うタイミングとしては
ばっちりであるということで
Aは自分が言っていることは真実であると
そして
Bは自分が言われていることは真実であると
錯覚してしまうわけです。

それは「真実」ではありません。

普通に考えれば分かりませんか?

truthlinksの講習では
このように聞くように勧めます。


=========
お前(B)は俺(A)の言ったこと
俺(A)の望む結果に対して
反したことをしている
俺(A)の目にはお前(B)は駄目に見えている
=========

Aが言う言葉の真実はこの程度のものです。


しかし


Bは「あ~また怒られたよ」

そして・・・

Bは「Aってなんであんなにいやなやつなんだ」
また「私はなんて駄目な人間なんだ」

という間違った思考へ展開していくのです。

根本が間違っているからこそ
そこから派生したものはすべて
ずれていくのです。

基礎のしっかりしていない土地に
50階建てのビルが建ちますか?


すべての事象は彼、もしくは彼女の目に
映っている事であり、それを解釈した彼もしくは彼女は


あなたが見ている事象とは異なるものを見ているのです。



Aの目に映り、判断を下されたBの姿が
Bである可能性は100%ではないのです。


にもかかわらずBはAの中にあるB像が100%という妄想に
従うしか道がないのです。







ではどうすればいいのでしょうか?

はい戻ります。先ほどのワークです。









疑いましょう。




「本当に駄目なの?」
「だからって、私は駄目が前提なの?」
「何をやってもって、私が何をやるかあなたは
私が死ぬまでのことが分かる超能力者なの?」


これが思考です。
これがネット時代になって人々が失ったものです。



文字を読んで頭に入れることはインプットです。
誰かの言った言葉を信じるのもインプットです。


インプットもアウトプットも止めて
シンキングこそあなたの世界を変えます。

もうお分かりでしょう?
それが本当かは「あなた」が判断してください。

変わればあなたにとって真実
変わらなければあなたにとって嘘


それだけのことです。














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