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<和とは>

日本は「和の国」といわれる。「和」という言葉を厳密に定義すると、
和は妥協して同化することではない。


「論語」に収録された孔子の言葉は「和」の真髄を言い表している。
孔子曰く「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」

「和」とはすなわち、自らの主体性を堅持しつつ他と協調することが君子の作法であり、それに対して「同」とは、自らの主体性を失い他に妥協することで小人のすることだと説く。


「和」が協調であるのに対して「同」は妥協であって
「和」と「同」は似て非なるものである。


孔子は、和して同じない生き方を君子の生き方であるというが、日本人の君子たる天皇はもちろんのこと、小人すなわち民衆であっても、和して同じない君子の生き方をしてきたことは確認しておきたい。


<和の外交>

では「和の外交」とはどのようなものだろう。


外交問題ではタカ派とハト派に分類されることがあるが、
政治の本質は強硬と弱腰の問題ではない。


聖徳太子は十七条憲法の一条に「和を以て貴しとなす」と記した。
皆が仲良くいさかいが起こらないことは良いことであるが、弱腰の外交を意味するものではない。
むしろ隋に対して強硬な姿勢をとった。


遣隋使派遣に当たり、小野妹子に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で書き始めた書を持たせたことは誰もが知るところだ。

隋の皇帝煬帝(ようだい)はこれを読み激怒したと伝えられる。


中国帝国の周辺諸国は朝貢し冊封を受けるのが従来の習わしだったが、日本は朝貢はすれども冊封は受けないという対等の付き合いを求めた。

中国皇帝を頂点とする冊封体制下で君臣関係を結ぶことなく、日本が独立を守ったことはその後の日本を大きく発展させた。

和の外交とは、普段は穏やかな友好を築きながらも、守るべきものは断固として守り通すものであって、両方を並立させることはかなり難しい。


言われるがままに譲り続けても、また強硬姿勢を貫き戦争になっても、それらはいずれも和の外交とは言い難い。
両方のバランスをとるのは至難の業だがそこに外交の真髄がある。

日本国としての主体性を堅持しながら国際社会と協調していくこと、これこそが本物の外交であろう。


それには日本国の構成員たる日本国民がしっかりと日本人としての主体性を持っていなければ、国家としての日本国の主体性は発揮することができない。

我が国が本物の「和の国」としてこれから歩み続けていけるかどうかは、ひとえに国民の意識にかかっている。


そして、天皇の御存在があってこそ、日本が和の精神文化を守ってこられたことを忘れてはいけない。