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マイペンライ

気にしない

 ここ数年来、水泳をしているが、先月からフォーム改善に取り組んでいる。何年間もかかってできたフォームを改善するのは大変だ。気を抜くとつい昔のフォームに戻ってしまう。絶えず意識をしていないといけないのだが、腕に注意していると脚が疎かになり、脚に注意していると腕が疎かになる。それでもどこかに意識をおきながら、あきずに改善を試みている。無意識に泳いでも、目指すフォームができるように、体にしみこませることが必要だと感じている。
 これは仕事や人生の生き方にも通じるものがある。現在あるフォームを改善するには、それが無意識にできるまでは絶えず意識し続けなければならない。最初は大変だが、習慣になってしまえばそうでなくなる。経験上思うのだが、3ヶ月続けることができれば習慣になり、難なくできるようになる。習慣になってしまえばこちらのものである。習慣の力については三木清が人生論ノートで次のように書いている。
 「習慣を自由になし得る者は人生において多くのことを爲し得る。習慣は技術的なものである故に自由にすることができる。もとよりたいていの習慣は無意識的な技術であるが、これを意識的に技術的に自由にするところに道徳がある。修養といふものはかやうな技術である。もし習慣がただ自然であるならば、習慣が道徳であるとはいひ得ないであらう。すべての道徳には技術的なものがあるといふことを理解することが大切である。習慣は我々に最も手近かなもの、我々の力のうちにある手段である。習慣が技術であるやうに、すべての技術は習慣的になることによつて眞に技術であることができる。どのやうな天才も習慣によるのでなければ何事も成就し得ない。」


 大前研一著「お金の流れが変わった!」を読んだ。著書の中で大前氏は「タイはもっか政情不安だが、これが経済にとっては逆に大チャンスとなっている。バーツも人件費も上がらないため、輸出競争力が中国より高くなっているのだ。」と書いている。ここ最近日本でのタイに関するニュースは否定的なものが多い。普通の人はニュースを聞いて、チャンスと聞けば人が群がり危険と聞けば人が離れる。それはわからないでもないが、発想の転換が必要だと思う。
 株式投資の格言に「人の行く裏に道あり、花の山」とある。商売でも株でも、みんながやらなかったことをやったり、みんなと逆のことをやるからこそ、大きな成果を上げることができるのだ。
 日本人は皆、「頑張る」と言う言葉が好きだ。何かというと「頑張ろう」と言う。頑張る事自体は悪いことでは無いが、状況にもよるだろう。今の日本をゴムに例えると、伸びきってしまい今にも切れそうだと感じてしまう。力を緩めることが必要なのに、更に頑張って引っ張ろうとしている。何だか今の日本に危うさを感じてしまう。震災の影響もあり、頑張らざるを得ない人もいるだろう。しかし絶望的な状況に追い込まれている人に「頑張ろう」と声をかけるのはいかがなものであろうか。
 私も日本人なのでついつい頑張ってしまうが、適当な「いいかげん」さを心がけ始めた。「いいかげん」と書くと言葉は悪いので、「良い加減」と他人には言い訳しながら。