市ヶ谷台・防衛省見学ツアー(2)-市ヶ谷記念館 | 太平洋戦争史と心霊世界

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防衛省2-1 

 防衛省ツアー、市ヶ谷記念館見学の続きです。上は市ヶ谷記念館。現在防衛省の建物のある場所から移築され、ここに復元されました。


防衛省2-2 

市ヶ谷記念館の1階です。ここで極東国際軍事裁判が開催されました。中央~左にかけて、長椅子がある辺りに裁判長席があって、日本人戦犯の被告席は一番奥の檀上でした。


防衛省2-3 

 天皇陛下の「玉座」でもあった1階一番奥の檀上。軍事裁判では戦犯の被告席でもありました。


防衛省2-4 

 1階の床ですが、床板にも番号を記しそっくりそのまま旧庁舎から移築されました。でも中には破損した板も出てきました。その破損板の代わりに埋められたのが、赤丸の中の木目のない板です。


防衛省2-5 

このあと、15分位自由に展示物を見学できる時間をいただきましたが、短時間なので見るのが大変。

 

写真がないと記事に載せられないので、ガイドさんの解説そっちのけで写真撮っていました。


防衛省2-6 

ちょっと見えにくいですが、阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大将の軍服(冬用)。

 

 終戦時、陸軍大臣でしたが抗戦を主張。ポツダム宣言受諾が決定すると、815日に割腹自殺を遂げました。

 

 映画では「日本のいちばん長い日」や「日輪の遺産」に、阿南大将の自決場面が出てきます。


防衛省2-7 

阿南惟幾(あなみ・これちか)、18871945年、享年58



防衛省2-8  硫黄島の戦いで総指揮官であった栗林忠道中将のコーナー。

 

「国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」

 

 ガイドさんが栗林中将の、この辞世の句を披露していました。


防衛省2-9  「栗林中将からの画手紙」

 

 北米での駐在武官時代に家族、特に幼かった長男へ書き送ったイラスト入りの手紙。子煩悩ぶりが垣間見えます。


防衛省2-10 

 イラストが不鮮明にしか写らなくて残念。それにしても欧米人の体格は今も昔も変わりませんね。



防衛省2-11  「荒木貞夫大将愛用の軍刀」


防衛省2-12 

荒木貞夫、18771966年、享年89歳。

 

 荒木大将は皇道派として知られていたため、戦後の極東軍事裁判でもA級戦犯として終身刑を言い渡されました。1955年に病気のため仮出所し釈放。



防衛省2-13  「士官学校優勝記念メダル」「所沢陸軍学校記念メダル」「幼年学校卒業記念メダル」

 

 昭和12年~16年まで市ヶ谷台は陸軍士官学校本部だったため、陸士関連の展示品もあります。


防衛省2-14  「軍艦比叡進水記念品」(1912年)

 

 海軍関連の展示品もあるにはありますが、少ないです。戦艦比叡は1942年、第三次ソロモン海戦で沈没。

 防衛省ツアー、次回が最後です。