歴史学と戦史と史観 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


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 戦史と言えば、私は明治から昭和あたりの近代史全般のことを指しているのかと思っていたのですが、そうではないようなのでこの話題に触れてみます。

 

 第一に戦史という定義が、日本史や世界史で勃発した戦争全般を指しているのか、それとも明治から昭和20年頃までの特定の戦争の歴史を指しているのか、戊辰戦争などの内戦も入るのかが、よくわかりません。

 

防衛省にも戦史研究所という所がありますので、戦史とは今後の軍事的な戦略・戦術などに教訓として生かすための研究なのだろうと思います。

 

 一方大学で教える歴史学では、特に軍事的な成功をめざすための研究というのはありません。しかし目的はやはり、歴史的な事象を研究して今後に生かすという学問です。

 

ですから史学を勉強した自分が研究するとするなら、軍事的にどうすれば成功するかというシュミレーション的な事柄ではありません。現代社会に共通する事象を抜き出したり、教訓として同じことを繰り返さないよう今後に生かしたい、というのがねらいです。


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ブログの世界を見渡すと、明治以降の歴史を取り上げたりする方も多いのですが、いろいろ気になることがあります。

 

初めから「日本軍は悪だ」とか、「日本はアジアにおいて正義を行った」と決めつけて、その主観的価値観に合わせて都合の良い史料ばかり拾っていくのも変です。 


気楽なブログなら内容は何を書いてもいいかもしれません。(卒論書くんじゃないし・・・)しかし実際の歴史学は史料をもとに実証的に研究するのですから、学問として研究するなら自分特有の価値判断が入るのはおかしなことになります。

 

 例えば戦時中に日本が占領していた東南アジアの国の人が「日本に感謝している」と言ったから、日本の当時の外地で行った行為は許される、という評価を下す手法を時々見かけます。これも価値判断が入ってしまっているため、正当な歴史研究とは言えません。

 

 加えて気になるのが価値判断の内容なのですが、誰かに感謝されれば「良い事をした」という評価になるのでしょうか。

 

この価値基準で行くと、例えばお金のない麻薬中毒者が禁断症状で苦しんでいるので、麻薬を代わりに買ってあげたら感謝されました。これも「良い事をした」ということになってしまうのですが、本当にこれでよいのでしょうか。

 

 「良い事」にしても、良い事とはどんなことかという定義と、どんなことを、どうすれば良い事になるのかという価値基準が明確になっていないと、上記の例のように論理が破たんしてしまうと思います。