『ありし日のブルース・リー』は、ブルース・リーの短編ドキュメンタリー作品です。


『ありし日のブルース・リー』の日本公開は1974年11月20日。アンジェラ・マオとジョージ・レーゼンビーが共演した『暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー』の併映でした。


内容はブルース・リーの愛人と噂された女優のベティ・ティンペイのインタビュー映像と、ブルース・リーが武術指導として協力した映画『麒麟掌(獨覇拳王)』の記者会見のニュース映像、これに香港で行われたブルース・リーの葬儀の記録映像を編集した18分程のもので、日本公開に際しては配給の東映洋画が、日本公開前の『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』のハイライト場面を加え32分程に編集したバージョンを作成しています。


製作はブルース・リーの主演作品を手掛けたゴールデン・ハーベスト社ではなく、強引にブルース・リーの映像を挿入した事でも知られる『麒麟掌』を手掛けた星海電影なので、上述のブルース・リーの葬儀の記録映像も遠景から葬儀場を撮影したものが大半で、ゴールデン・ハーベスト社が製作した長篇ドキュメンタリー映画『ブルース・リーの生と死』に使用されている記録映像と比べると、貴重さの度合は低い映像です。但し、日本では『ブルース・リーの生と死』は1997年まで公式上映されませんでしたから(本篇中に使用されている『燃えよドラゴン』の映像の権利がワーナーブラザースにあった為)1974年の日本では、ファン要注目の作品でありました。


東映洋画は『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』の配給権を巡って東和映画(現:東宝東和)と激しい争奪戦を展開、やっとこさの思いで配給権を獲得したのですが、映画製作のゴールデン・ハーベスト社から他の映画4本の配給権もパッケージで売り込まれ、『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』公開前に、その4本を日本で劇場公開する事が契約で義務づけられていた様です。


その4本というのは……『電光!飛竜拳』『カラテ愚連隊』『暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー』『いれずみドラゴン 嵐の血斗』。

日本では、短期間の間にたて続けに多くの作品が公開された事で、1974年のG.W.が明ける頃にはブルース・リー主演作以外は、すっかり飽きられていた香港カラテ映画。4本の作品を公開ラインナップに押し込む事に東映洋画は難儀した様で、『電光!飛竜拳』『カラテ愚連隊』は全国的に2本立て上映となり1974年7月に公開。『暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー』は『ありし日のブルース・リー』を併映にするも、大都市圏を中心に一部地域のみで1974年11月に公開。『いれずみドラゴン 嵐の血斗』は洋画系劇場で上映する事が叶わず、1975年1月の『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』公開を目前にした1974年12月末に、地方都市の東映邦画系の下番線劇場で『新 仁義なき戦い』『直撃地獄拳 大逆転』の併映で日本語吹替版での上映となりました。


私の地元の名古屋市では『暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー』は上映された記録がありません。では併映だった『ありし日のブルース・リー』も上映されなかったかと言うと……短篇映画であってもブルース・リー作品は観客動員が見込めると判断された様で、東京公開から少し遅れて1974年12月21日より、『シンドバッド 黄金の航海』『残酷人喰大陸』の併映で上映されています。


1974年12月の新聞広告(名古屋市)

“秘蔵フィルム・日本初公開”と言われたら、ファンは気になります。
『シンドバッド 黄金の航海』のタイトルが新聞広告では『シンドバッド・アドベンチャー 黄金の航海』となっています。

『シンドバッド 黄金の航海』は1973年製作のアメリカ映画。タイトルからも解る様に「アラビアン・ナイト 千夜一夜物語」内の「船乗りシンドバッドの物語」を原作にした作品。1958年『シンバッド 七回目の航海(シンドバッド 七回目の航海)』の間接的な続篇。レイ・ハリーハウゼンが特撮=ダイナメーション(人形アニメーション)を駆使した冒険ファンタジー映画で、ゴードン・ヘスラー監督作品。SF映画ファンに人気の高いキャロライン・マンローがヒロインを演じています。

『残酷人喰大陸』は日本とイタリアの合作(という事になっています)によるドキュメンタリー映画。監督のアキラ・イデは放送作家出身の井出昭 監督の事。井出監督は1966年『地球を喰う』『血と涙と墓場』、1969年『断絶の世界』、1973年『残酷飢餓大陸』を手掛け、1975年には『実録 ベトナム戦争残虐史』も監督しており、ドキュメンタリー映像作家として名を馳せた人物。『残酷人喰大陸』はニューギニアの現地人の奇習にスポットを当てた内容で、真偽の程は定かではありませんが“人喰い”を捉えた映像が収録されている事が最大のセールスポイントとなっています。
“ニューギニアが大陸なのか”というツッコミはさておき、1962年のイタリア映画『世界残酷物語』のヒット以降、日本では残酷ドキュメンタリー映画が人気を呼んでおり、1980年代までは興味本位の怪し気な作品が続々と公開されていました。

『シンドバッド 黄金の航海』は謂わば怪獣映画ですから、『ありし日のブルース・リー』と併せ小学生の観客も多かったと思われますが、併映が残酷ドキュメンタリー『残酷人喰大陸』という……当時は残酷描写に対しては寛容だったのです。
(1976年3月に『世界残酷物語』と『続・世界残酷物語』を再編集した『世界残酷物語 総集版』を東映洋画が公開した際の地方都市併映は『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』の再映でしたし、1978年4月に東宝東和が公開した『ブルース・リー 死亡遊戯』の地方都市併映は『カタストロフ 世界の大惨事』という災害・事故・事件の現場を捉えた残酷ドキュメンタリー系の作品でした)

『ありし日のブルース・リー』『残酷人喰大陸』は東映洋画配給作品。『シンドバッド 黄金の航海』はコロムビア映画の配給作品で、配給会社を跨いだ3本立てだったのですが、別の地域では東映洋画配給『ありし日のブルース・リー』『暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー』とコロムビア映画配給『空手ヘラクレス』の、同様に配給会社を跨いだ香港映画3本立て上映が行われた様です。


『ありし日のブルース・リー』
李小龍與丁珮珍貴紀錄片
THE LAST DAYS OF BRUCE LEE
1973年 香港