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尋スタジオの我がまま気まま

何でも気ままに書きます。でも、毎日は書かないだろうな。
我が尋スタジオの情報がメインになります。
グラフィックからホームページデザイン、
手書きフォントなどこさえてますよ。

これは本物のいじめでした。小1の時、当然学校に入学すれば、ある意味注目の的。しばらくはみんなに囲まれて、物珍しそうに色々聞いてくる。「足はどうしたの?」「何で足が小さいの?」などなど、取り立ててどうって事ない質問だけど、幼いながらに傷つくこともあった。

入学1ヶ月は慣れるまでということで、母が小使い室(用務員室)で待機していたが、それが過ぎると、冷やかしはひどくなって来たようだ。もちろんいじめも始まる。同級生はどうって事はない。ぶっ飛ばせば済むことだ。ケンカはしょっちゅう。

ただ、上級生の心の成長していない悪ガキはどうしようもない。私は足が不自由な分、逆立ちで歩くのが得意だった。腕っ節は強いので当たり前ですが。で、みんなも驚いたり、関心したりするので、得意げになってよくやっていましたね。それを上級生もどこかで見ていたのだろう。

ある時、校舎裏にたまたま一人でいたところ、数人の6年生に囲まれ、その逆立ちを強要された。いやだと言うと、力づくで杖を取り払われ奪われてしまった。そして10mぐらい離れたところで「ここまで逆立ちで来な。」と杖をかざして要求してくる。地面に座ったまま、どうしようもなく要求に応じるしかなかった。

で、そこまで逆立ちで行くと、ほらやっぱり始まった。さらに10m離れて行き再度要求してくる。これは終りのないいじめの始まりだ。昼休みで休み時間もまだあった。仕方ない要求をさらに飲むしかなし。これの繰り返し。70~80mはやっただろうか。終りそうもない。泣けば許してくれるかも知れないと思ったが、こんな事で泣いたことはない。先日の日記に書いた小便事件だけだ。負けられない自分もあった。強ければいいってもんでもないが。

体も限界になってきた。止める気配もない。困った。誰か先生に伝えてくれればいいのだけど。数少ないやじ馬はその悪ガキたれにおののいて、いなくなってしまった。ただ、その途中から、少し離れたところでその連中の同級生Kさん(男)がその様子を見ていた。

少し悲しそうに心配そうに眺めていた。いや、そうせざるを得ないといえよう。彼は少しひ弱で体も大きくなかった。しかし、彼はとてつもなく優しい人だったのです。朝の朝礼がある時など、遅れる私を見かねて、誰より先に私の教室まで迎えに来て、校庭までおんぶして連れていってくれていたのでした。先生とか誰かに頼まれた訳ではない。何か事ある毎に自主的に助けに来てくれていた。本当に優しい人だった。

その彼もさすがに彼らに太刀打ちすることは難しかった。見ていることしか出来なかったのだろう。それを恨んでいる訳ではない。心のどこかで助けは願っていたかも知れないが、立場は幼いながらも理解はできていたんですね。

そのいじめはまだ続いていた。100m近くになり、さすがにぐ~の根も出ないほどになったが、まだ続けるつもりだ。度を超してきた。Kさんは泣きそうになっている。彼は最後まで残っていた。

その時、事は起こった。彼はその悪ガキどもに駆け寄り、震える声で「もう止めろ!」叫んだ。いや、囁くような声と言った方が近い。「何、うるせえ~!」威嚇される。しかし、彼はひるみながら涙目になりながらも「もういい加減しろ!」と引き下がる気配はなかった。相当な覚悟は表情に見て取れた。その時の彼は私にはヒーローに見えましたね。彼らはその覚悟に舌うちしながらもようやく杖を返してくれた。

「大丈夫ね。」と、私に杖を返すその震える手は今もしっかりと心に残っている。

今、考えると小6でそんな事が出来たなんて、凄い人だと思います。そのことを父母に話すと目に涙を溜めて聞いてくれた事も思い出します。もちろん、父母は彼には心から感謝し、信頼をしていましたね。昔はこういった人が必ずいたものです。だから私も普通の学校で生きておられたのです。こうやって人間ってお互い成長していくものだと思います。

若い頃、障害者の解放運動で養護学校義務化反対に心血を注いだのもこの事件もあったからです。全てのことに言えるかも知れませんが、関わらない方が良いという考え方は最も危険な気がします。それと、優しさにも強さが必要だともいえますね。

何故、こんな事を書くかと言うと、やっぱ今のいじめや状況は全ての人に責任があるということです。親も先生ももう少し視点を変え、真正面から向き合わないと自殺まで追い込まれるいじめは無くならないと思いますね。昔も同じようないじめは一杯あったんです。だけど、極端な例がそれも人間の成長の過程です。それが、証拠に小学校でも中学年になると私もいじめにあったことはほとんどありません。むしろ、助けてくれる側になります。入学したての低学年は私を見ると奇異な目で見たり、ちょっかいを出してきます。しかしそれは同級生が諌めてくれるのです。これが肝心なのですね。そして、先生も一緒になってフォローしてくれる。そういえば、小1の時の先生は女の先生で、ひどい事件があると一緒に泣いて諭してくれたものです。

また、大人になって同窓会などあると、「お前がいたから色んな事が考えられた。」とか色んな事をいってくれます。今の障害者のいない学校ではもう取り返しのつかない状態までなっているのかなとも思ったりします。当たり前ですが、色んな人がいる、それをみんなで受けいられる学校や社会が一番大事なんですけどね。

Kさんとは彼が卒業と共に関わりな無くなってしまったが、後年(高校生の頃)、会う機会があったんですけど、時間が経っていたのとお互い照れもあり、その機会を生かせなかったことが今一番の心残りです。

あ、それから誰かが知らせたのでしょう。でも先生が来た時は後の祭りでした。その後、彼らが私に一切近づかなくなった事は、多分に何かの制裁があったことは間違いの無いことでしょうね。
いままで、色々大変なこともあったが、人生の中で一番腸が煮えたぎる思いをした 経験を書いておこう。

小2の頃の事だが、遊びもお開きになる夕刻、別れのじゃれあいをやってた。 と、用をもよおし、道ばたでやっていたところ、何やら頭から後の首筋、背中に 生温かいものを感じた。なんと、それは2歳上の近くの悪ガキが後の土手の上から、 私にかけた小便だったのだ。 私が何かをした訳でもなく、ただ単に彼の度を越えた悪ふざけだったのだ。

すぐに動けるはずもなく、びっしょりになってしまった。子どもとは残酷なものだ。 彼は笑い転げていた。しかし、回りは余りにもあるまじき行為のため、 シーンとなってしまったのだ。たまたまその時にうちらのガキ大将はいなかった。 悪ガキより年上がいなかった、もし、大将がいたら多分ボコボコにやられていた ことだろう。昔のガキ大将は本当に正義感はあった。またこちら鹿児島では 郷中教育という、縦社会のいいところもあり(危険な遊びなどの監視) 彼の行為は許される行為ではなかった。

もちろん私は悔しさの余り、号泣していた。あまりの悔しさに泣きじゃくり 歩くこともままならず、帰りの150m余りを1時間もかかってしまった。 その間、女の子達が色々慰めて、みんなで声をかけて付き添ってくれたが、 私の形相や容貌にたじろいで、一人一人と帰っていった。多分家に帰って 様子は親に話しはしてくれたのだろう。

よくやく帰り着き、土間で気付いた母が、余りの泣き声に驚き、事情を問い正した。 しかし、余りにも泣き過ぎ、いわゆる泣き痙攣を起こし、話すことができない。 仮に彼の名を「よし××」としておこう。「よ、よ、よ、ヒックヒックワ~ン」状態だ。 その様子を今でも家族の前でやるとえらい受けてしまう。

次の「し」が出てこない。母は苛立ち「何この臭い?小便かい?誰が何をしたの? ちゃんと言いなさい。」はい、分かってます、しかし何も言えない。 その状態が10分も続いただろうか。程なく牛小屋で仕事していた父が家に入ってきた。元来親父なんて子どもの泣き声ぐらいで騒がない。 しかし、事態がただ事ではないと悟ったんでしょうな。「どうした?落ち着け?」と 父の冷静さに我を取り戻し、ようやく事情を説明した。当然、母か怒り狂った。 父に何か叫んでいる。父は黙って、風呂場に行き、手足を洗い家に入り、 程なく正装に着替えた。といっても野良着からワイシャツに着替えただけだが。 でも、表情が険しい。何かするつもりだと直感した。

元来、子どものケンカに親が顔を出す時代ではない。あり得ないことだが、 今回はその限界を越えたといっていいだろう。 おそらく彼の家にちゃんと訳を聞きに行き、対応を考えた事だろう。 父はここいらの集落ではリーダー的存在なので、事を荒立てたくは無いだろうけど 始末はしなきゃいけない。母は私を風呂場に連れていき、体を洗いながら、 怒って泣いていた。見たことの無い表情だった。

父もいよいよ出ようとしていた時、彼の母親が突然入って来た。泣きじゃくって 土間の縁に両手を付き頭を擦り付けて「済みません、済みません、 うちの子がとんでもないことをやらかしたそうで、本当にごめんなさい。」と 父に謝った。母は縁の端に座っていたが、こちらを見向きもしなかった。 そして、母親は大きな声で「よし××、こっちへ来なさい!謝りなさい。」彼が入ってきた。

なんと、顔は紫色に腫れ上がっている。驚くほどボコボコの状態だ。あざも出来ている。 これは彼の母親ではないことは一目瞭然。多分父親がこぶしで殴ったのだろう。 もちろん、泣きじゃくりながら「ごめんなさい、ごめんなさい。」と謝った。 父は「私に謝らなくてもいいから、息子に謝ってくれ。」と。 二人は土間に土下座して謝った。 また切々と彼に向かい、道理を説いていた。私も溜飲は下がった。

事が事だけに、多分その時回りにいた子供たちが親に告げたのだろう。 そしてそれは彼のうちにすぐに届いたのであろう。事は急ぐ必要もあったのだろう。 早い処置だった。多分に彼の父親も近くには来ていたと思う。 しかし、この時代の田舎の場合、父親同士が土下座までの問題にしたくない気持ちも あったのだろう。もし、それ以上になったら、出て行かざるは得ないだろうが、
後に父が「親父さんも謝ったからね。」教えてくれた。 これで解決はついた。これがなかったら、私の腸は今も煮えたぎって、 引きずっていたことだろう。

その後、しばらくは彼は私の近くには来なかったが、それも過ぎると 何事もなかったように付きあった。中学になってからは良く遊んだものだ。

もう、こんな時代はないのだろうか?良かったとも言い切れないが、危機感を全体で 共有することが当たり前だった頃に比べると、今のいじめなどに対する対応は 全て含め、保身のみが先行しているとしか思えない。生身の人間ではないな。

まじめな教師も多いけど、だいたい、動機が不純で教師になっている者が 多すぎる気がする。どの辺からなんだろうな~。 また、親も子どもに見て見ぬふりも罪だと教えなきゃいけないなど、
根幹に関することまで考えなきゃいけない時代になっている。 当たり前のことなんだけどな。
 お知らせです。「第8回 まつり宝島」が開催されます。フリーペーパー紙・VLLAGE TIMESさんに主催によるレトロな感じの商品がいっぱい展示されます。
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第8回 まつり宝島

★〈予定〉6/9(土)~10(日) AM1010:00~PM5:00
★会場:蘭博物館
 都城市吉尾町6213〈駐車場完備〉

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陶器:各種/布小物/プリザーブドフラワー/耳つぼジュエリー&顔つぼマッサージ体験/リンパドレナージュ:フェイシャル&ボディコース体験/テイクアウト弁当/オードブル、食べるラー油/ひょうたん楽器&ライヴ・ワークショップ/菜食料理/手づくり漬け物/帽子、家事着、ウエルカム・ドール/アロマ・エッセンシャルオイルなど・・・
新しい出会いや、意外な発見あるかも知れません。~ぜひ、遊びにおいで下さい~

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詳細については「ヴィレッジ・タイムス」編集部までお気軽にお問い合わせ下さい。
TEL0986-52-9466

$尋スタジオの我がまま気まま-案内パンフの一部
 連休中は中九州方面へ車中泊で、旅行をしました。娘が2日と3日が休みで長らくキャンプもしてなかったので、息子も交えて、まずキャンプから始めました。3日には息子達と別れて、私ら夫婦だけでそこから出かけたのです。詳細は後でzinstaの旅行[車中泊]の方に書くつもりです。
 で、3日は太宰府にある「九州国立博物館」に行き、平山郁夫さんの展覧会を観て、宗像の道の駅で車中泊、4日は直方、田川を回り、道の駅おおとう桜街道で車中泊、5日は飯塚に行き久留米を通って帰ってきました。900Kmも走ったので多少疲れましたね。
 ところで、楽しい旅は別ブログに譲るとして、障害者が旅をすると色んな温かい手助けがあったりしてありがたい思いもするのですが、まだまだいやなこともあります。もちろんトイレは非常に気を使いますし、歩きもケガの無いように十分気を付けます。歴史資料館なども良く回るのですが、そういう時は疲れないためや転んでケガするのを防ぐため車椅子を借ります。
 ところで、ある展示館でやはりいやな思いをしました。子どもが珍しそうにジロジロ見ることなどはどうって事ないのですが(あまりひどいと注意したり、親を呼びだします)、ビデオコーナーがあったので、一番後で見ていたのです。前の方は50人ぐらい座れる背もたれ無しのソファーがあり、高さも低いので後からも十分見えます。もちろん後で立って見ている人もいるのですが、私も気を使いながら間に入って鑑賞してました。ところがある30代後半ぐらいのバッグを肩にかけた女性、私を見ていたのに平気でわざわざ私の前に立ったのです。気がつかないということでなく、明らかに「無視」という形でです。えっ?少し脇に移動しようとしても今度はバッグが邪魔で全く見ることができなくなりました。コーナーの後で案内と監視していた係員と目が合ったのですが、おろおろという感じで何もせず、ハイちょっと切れました。
 何もいわず、そやつの肩にかけたバッグを手の先で突きました。結構強くです。こういった族は声をかけるのも面倒です。で、ビックリして、こっちを振り返りました。さらに睨んで手だけで左右に振り、どけというジェスチャーだけしました。本人はどきっとしたのか、一言も発せず、移動していきましたが、なんだかな~という感じでしたね。
 やり過ぎと思うかも知れませんが、そうは全く思いません。明らかに気がつかないということでなく、無視した行動です。何故、こんな人間がいるのか不思議です。前に立つ時も言葉も無し、注意した時も全く言葉は無し、世の中差別的な人間はまだまだいるんですね。障害者諸君負けずに頑張りましょう!
 毎年やるんですが、今年も4月1日、行ってきやした、かみさんとの桜見ドライブ。自分の住んでいる鹿児島の桜ケ丘も結構桜はあるのですが、まだ五~六分咲きってところでしたね。ひょっとして余り咲いてはいないのではと思ってましたが、来週は用事があるんで行くしかありません。でも行って正解でした。
 昨年とほぼ同様のコース。鹿児島から高速に乗り、加治木で下道、ここから日木山を通り、溝辺空港を迂回して北上。日木山はイレギュラーコース、このルートは昔仕事関係で良く通ったところで、今は道も良く無人販売が一杯あり、桜島と霧島が同時に見れる高台です。ここではいつも野菜を安くで一杯買います。
 まず、横川丸岡公園に。ここは名だたる桜の名所(写真)

$尋スタジオの我がまま気まま-丸岡公園

ほぼ満開、次に毎月行く湧水町の「藤乃湯」で体をほぐします。ここは二人で600円の家族湯があり、障害を持つ私にとっては助かりますし、何より体にピッタリあってます。
 さっぱりした後は加久藤峠を越えて熊本県・人吉へ。この峠を越えた途中の田んぼ沿いにそれはきれいな桜並木があります。これはマイ名所です。その後は人吉城内の桜、ここはしょっちゅう行くので軽く見てスルー。そして人吉駅にある大好物の人吉名物「鮎寿司」をゲット。 とにかくこれは私の大好物なのです。私にとって、鮎寿司には色々いわくがあるのですが、書けば切りがないのでまたいつか。

尋スタジオの我がまま気まま-鮎寿司

 その後は西人吉駅近くにある「光生会病院敷地内・龍生園」へ、ここは凄いです。桜が一杯、人も一杯。ここいらの桜名所みたいですね。敷地内を車で通って見学しました。そして球磨川を八代方面へ、ここも川沿いに桜が一杯、川面とのコントラストがきれい。対岸にはサイクロードがあり、そっちから見るとさらに凄いでしょうね。その途中の桜の木の下で鮎寿司を頬張りました。花びらが車の中まで入ってきて何となく風情がありました。
 昼食のあとは少し八代方面に行って、途中より芦北方面へ向かいます。30~40分走らせて、着いた先は 「芦北海岸県立自然公園内の女島付近」。ここは以前通った事がありマイ名所のひとつです。数は少ないですが、曲がりくねった海岸通りの桜の古木群がとてもきれいで枝ぶりに圧倒されます。おすすめの所です。人も少なくゆっくり見れますよ。

$尋スタジオの我がまま気まま-芦北・女島

 そこから、海岸通りをゆっくりドライブ。春風の心地よさを満喫しました。天気も良く大好きな自然の景色が広がっていました。30分も行くと水俣市の湯ノ児温泉に着きます。ここも何度も行ったのでスルー、その先の桜名所「チェリーロード」に行きました。結構な距離の海岸通りに桜が一杯。しかし道が狭く、人通りも多いので車は要注意です。車を止められる場所も少ないですね。、一部を除いては若い木が多いものの見ごたえはあるんですけどね。
 そこからは帰宅のみ、しかしそこから自宅までは2時間半の道のり。家内が運転を久しぶりに代わり、出水~さつま町~を通って帰宅。もちろんコース沿いの桜は一杯見ました。走行距離 300km余り、5~6000本以上はみましたかね。 もっとかな。
 こう言って書きながら私は桜自身はあまり思い入れみたいなものはありません。ここに紹介するのは、こちら方面の人のためのガイドのつもりです。 固まった花群はいばってそうであまり好きな方ではないんですよね。もちろん大嫌いってわけでもありません。ポツンとした花が好きなだけです。
 実は7~8年前に家内が生死をかけた胃の手術から生還し、退院できた祝いにと二人で桜ドライブしたのが初めてだったのです。ドライブ自体は大好きなので・・ 。その時、どこかの田舎の川沿いの数本の桜木の下で鮎寿司を食べたんですが、 家内がしみじみと「もう桜は見れないと思った。来年も見れるかな。」 と言った事が妙に身にしみたんで、以来毎年繰り返す事になったんです。 もう、主な所はほとんど行ったんですが、やっぱ今年もリピートして しまいました。もちろん楽しいのは楽しいです。でも「来年はどっちかが位牌を持って桜愛でるの旅かもな。」 との洒落がシャレにならない歳になって来ました・・・・。