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8月1日発売『がんばろや~県民の詞で綴る応援歌集~』

応援歌で宮崎を元気に!というコンセプトで、口蹄疫被害で疲弊した県民を励ます応援ソングをつくろうと宮崎県民から歌詞を公募。
この歌詞の中からセレクトしたものを、宮崎出身や宮崎で活動している8組のアーティストが歌うというチャリティーCDアルバムが発売された。

タイトルは『がんばろや~県民の詞で綴る応援歌集~』。
1枚1,000円で販売し、収益を口蹄疫義援金として寄付するというもの。

このアルバムに収録されている水木大介「ありがとうとがんばろう」という曲のディレクションらしき事をした。

宮崎県の新富町出身である我が会社の社長から、この企画の事を聞いたのは2ヶ月ほど前だったと思うが、おお、県民が自らの意思で地元の人たちの為に何かをしよう、という動きが出ている事に素直に感銘を受けた。
今井美樹とコブクロが、たしか「太陽のメロディー」という応援ソングを作ったのが記憶に新しいが、個人レベルではインディーズのヒップホップ系アーティストら数人が応援歌をリリースしている事がネットの検索で分かる。

水木大介さんは宮崎県出身の演歌歌手で、宮崎県知事である東国原英夫が作詞をした「宮崎てげてげ音頭」のPRでとんねるずの石橋貴明とスマップの中井正広が司会をする「うたばん」に出演した事もあるので、記憶に残っている人も少しはいると思う。

大介さんのプロモーション活動をうちの社長がしていることもあって、公募された歌詞から1曲を選び、大介さんの歌う曲を作るとこになった訳である。

作曲を担当してもらったのは、BIGMADE MUSICの江藤さん。
江藤さんは、TRY'XTONE RECORDSというインディーズレーベルも立ち上げており、多くの若いアーティストに数多くの楽曲を提供しているMUSIC PRODUCERであり、作曲家でもある。

神戸出身で阪神淡路大震災の被災者でもある事から、これまでも中国の四川省の大地震などの時に積極的に義援金集めなどを行っていたという事実もあったからか、「チャリティーということであれば是非」と快諾してくれた。

しかも、今回のJOBは、別件で打ち合わせに来て、初めてうちの社長に挨拶をした次の瞬間に、初対面でチャリティーのお願いをされてしまったという、なんとも不運?な人でもあったのだが、うちの社長の強い心意気にすっかり意気投合してくれた。

公募によって集まった詩は37あったらしいが、そのうちの21が送られて来た。

歌詞がまだ送られてくる前に、江藤さんからどんな曲を作ればいいのか?と相談を受けていた。
大介さんは演歌歌手ではあるけど、今回のテーマがテーマだけに、耐えるとか悲しいとかいった悲しげな演歌にならないように、明るい音頭みたいな曲がいいんじゃない?とか、宮崎とかに限定した歌詞じゃなくて、いつ誰が聞いても元気になれるようなそんな曲ができればいいね、とお互いの意見を確認し合っていた。

そんなこともあり、「ありがとうとがんばろう」に決まるまで、そう時間はかからなかった。
符割の問題が若干あったために、作詞者の了解をもらって若干の修正をすれば、ということを大前提に楽曲作りをお願いする事になった。

数日後、早速DEMOが仕上がって来た。
早速聞いてみると、吉田拓郎が森進一の為に作った「襟裳岬」を思い出した。
曲調も全く違うが、いわゆるフォークソングのシンガーソングライターが演歌歌手の為に作った曲といったイメージの曲で、
歌い手によって、フォークソングにも演歌にもなるような、そんな曲だった。

早速大介さんに音源を送り、音域などのチェックをしてもらう。
その間、江藤さんはブラッシュアップを進めてくれ、音頭っぽい太鼓やお囃子を入れてアレンジしてくれたのだが、関係者ほぼ全員の意見で「このままのアレンジで行こう」ということになった。

歌録りの前日に2Mixとツールスのデータを送ってもらい、準備ができた。
大介さんと江藤さんの仕事のスケジュールが合わなかった事やチャリティーということもあり、歌録りは我が社のMA室のブースで行う事になっていた。

作曲者のいないまま歌録りをする事が明確になった段階で、「俺がディレクターに近い役割をするしかないな」と思っていた。(まぁ、やりたかったというのもあるがw)

録音当日、とりあえず何も考えず歌ってもらった。大介さんは江藤さんの仮歌のイメージのまま、旋律を追っていった。
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やはり、大介さんらしさが出ていない。そこで、何カ所か指定して演歌特有のコブシやビブラートを入れてもらい、大介さんらしさのある曲になっていった。
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一通り録音が終わり、聞き直す。しかし、いまいち物足りない。
エンディングにかけて盛り上がる部分にパンチが足りない。そこで、急遽コーラスを入れる事にした。
とはいっても、コーラス隊などもちろん呼んでいない。
内線電話で手の空いてる人間を集めて社員総出に近いコーラス隊を収録した。
はじめは数人でブースに入って歌ってもらったが、ブースでヘッドホンをつけて歌うなんてことに慣れていない輩ばかりが歌っているわけで、当然のごとく音圧を一定にする事ができない。

そこで一人づつ録音する事にした。
そんなこんなで9人のコーラス隊を録音し、コーラスのミックスした。
これが予想していた物よりはるかに良く、元気ある曲になった。

最後に、ストリングスのパートを少し前面に出し、定位でコーラスに広がりをつけ、大介さんの声にユニゾンパートを作る事で完成した。


なかなか楽しい元気な曲に仕上がったと思い、早速江藤さんに送った。
思っていた通りのいい感じになりましたね。と連絡くれた瞬間、ほっとした。

いくら音楽好きで、何度も楽曲録音に立ち会っていたとはいえ、作曲者のいない現場を初めて仕切った録音現場だったわけなので、かなり緊張していたらしい、責任感みたいなものが江藤さんの一言で楽になった。

少しでも多くの人が、この曲を聴いてくれればうれしく思う。そして、その収益で被害に直面した人たちが報われる事を考えれば、本当に一人でも多くの人に買ってもらいたい。

「ありがとうとがんばろう」だけでなくその他の7曲についても、なかなか手作り感のある出来映えになっているので、是非手に取って聞いてもらいたい。
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今野雄二さんって、タカミさんの知り合いじゃない?とメールで訃報を知ったのは昨日の事。会社で早速ネットをサーチする。なんと、自宅で自殺・・・・代官山の自宅・・・なぜ!?と驚きは隠せなかった。
66歳。まだ若いのにと思いつつ、11PM時代を思い出す。今から思えば、まだ映像制作の業界に入って3年位のかけだしのペーペーだった頃かぁと、走馬灯のようにその頃の事がフラッシュバックした。

当時の俺はいわゆるAD。優秀な先輩ADをはじめ、一癖も二癖もあるディレクターについて日々時間に追われていた。ワイドショウという名を持った情報番組でもあることから、映画、音楽、美術、風俗、政治、スポーツと番組のカラーはディレクターの志向によってコロコロと彩りを変える。

月曜、水曜、金曜が日本テレビの制作だったのだが、金曜は比較的内容が固まっているのもあり、専属のADが着く事になっていて、生放送とスタジオ収録(当日撮って出しとか、偉大な司会者のスケジュールの都合で生と収録の1日2本取りなんていうのもよくあった)以外は担当しなかったが、月曜と金曜は、毎回オリジナリティある特番をやっているような感じで、企画から取材~放送に至るまでまさに覚える事が沢山あり、先輩たちの号令とともに繰り出す六本木・赤坂行脚も含めて、寝る間も惜しんで生活していた記憶がある。
コンちゃんは水曜のレギュラーだった。情報通という立ち位置で毎回様々なコメントをする感じだったと思う。
11PMといえば、お色気を連想する人も多いと思うが、洋楽や洋画の情報を発信する数少ない番組の一つであったことは間違いない。その洋画と洋楽に最もたけた人物がコンちゃんだった。
洋楽の情報は、レコード会社やウドーやキョードーのような興行会社からのものも多かったが、コンちゃん独自の情報も少なくなかった。そのコネクションは新進気鋭だったり、デヴィッドボウイ、デヴィッドバーン、マイルスデイヴィスといった大物たちに至るまで(だった気がする・・・)

ペーペーだったいちADがコンちゃんに気に入られた理由は定かではないが、本当によくしてくれた事を覚えている。何度か食事にも連れて行ってもらったし、自宅に余ったレコードをもらいに何度か行った。

はじめは男色家としての噂があると先輩から脅かされ、台本を届けに行くにも緊張して行った事を覚えている。真実は未だに不明だが、自分が大事に至る事は無かった。(スナップ写真は撮られた気がするが・・・あれはどうなったんだろう・・・)

当たり前の事だが、とにかくコンちゃんの音楽評論家としての情報はやはり素晴らしく、15~6才の頃から歌謡曲番組よりFENで流れていたケーシーケーソンのアメリカントップ40やビルボードチャートを常に気にしていた俺に撮ってはもの凄い情報ばかりだった。

何より忘れられないのは、コンちゃんが懇意にしていたデザイナーで、現在はパリにその活動拠点を移している佐藤孝信というデザイナーがいる。そのひとのブランドであるアーストンボラージュのファッションショーに、俺が創ったテープが採用されたことだ。
今思えば、ものすごいことだ。お礼として佐藤さんからパンツやセーターを直接選んでもらった事も自分の中では忘れられない出来事の一つだ。

当時スーパーミックスといっていたと思うが、DJが2台のターンテーブルを使って全く違う曲のフレーズの良いところをぶつけて、乗り換えたりする、いわゆる今のHip Hop DJ Mixcerが当たり前のようにやっていることだが、専門学校の音響コースを卒業していた俺の心を動かした。俺も創ってみたい!
とはいっても、そんな2台のターンテーブルやDJ Mixcerを買える金があるわけもなく(当時は結構高かった気がする)スクラッチの物まねだけはしてみたいと思い、テクニクスの2000という可変式のターンテーブル1台を友達から買うのがせいいっぱいだった。

では、どうやってファッションショーに採用されるような音源を創ったか!そう、ターンテーブルの立ち上がりのタイミングをみながら、6ミリテープへパンチインをして編集していったのだ!今思えば、はさみを入れればよかったなぁと思ったりもするが、なぜかそこには拘っていた気がする。

そんなこんなをしながら、番組とコンちゃんを通じて知ったGrand Master Flash, CHIC, Heavie Hancock (Rock it), Queen,Kartis Blow,Suger Hill Gangあたりの曲をSuper Mix風につなげたものをでっち上げたわけで・・・それを何気に番組のBGMに使ってしまったのをコンちゃんに褒められ、たまたまコンちゃんが佐藤孝信さんのファッションショーの音楽を担当していたのもあって、それを使いたいと・・・・・我ながら出来は気にいっていたのですが、そんなことになるとは夢にも思わなかった次第なわけです。(今思えば、著作権とかどうしていたのかな?と思うw)

もう25年以上前の事だと思うと懐かしさも通り越してしまい、本当にそんなことあったのだろうか?と思ってしまう出来事だった。
あの時、自分の音楽センスというのは決して悪い物じゃないんだな!というか、ある意味自信が持てた一時だった。

コンちゃん本当にありがとう、そして、安らかに...