自分には無縁の世界。
そう思ってあきらめていた。
考えないようにしてきた。
他人は他人、自分は自分、そう納得させて生きてきた。
そうしないと、ただ羨むだけの自分が嫌だったから。
でも・・・
なぜか、一歩踏み出してみようと思えた。
多くは期待せずに、まずは一歩だった。
なのに・・・
短い時間でその一歩は
見知らぬ人の手に引かれて走り出していた。
小さな一歩は大きな一歩になっていた。
自分には無縁の世界。
そう思ってあきらめていた。
考えないようにしてきた。
他人は他人、自分は自分、そう納得させて生きてきた。
そうしないと、ただ羨むだけの自分が嫌だったから。
でも・・・
なぜか、一歩踏み出してみようと思えた。
多くは期待せずに、まずは一歩だった。
なのに・・・
短い時間でその一歩は
見知らぬ人の手に引かれて走り出していた。
小さな一歩は大きな一歩になっていた。
自然災害など、人知を尽く しても適わない出来事もある。
それを司る存在があるとしたら神なのかもしれない。
私は信者でもなんでもないけれど、
予測不可能で、かつ、どうしようもない事を思う時、
それは神がなせる業であるとするなら、神はいるのだと思う。
どうしようもなくて、神にすがる思いで願い祈る。
けれど・・・私はそういう時に願いを祈りを聞き届けてもらった事はない。
でも、反対に何も願ってもいないのに、何かがフッと自分に動くような事もある。
それは小さな事も大きな事も色々だけど、期待もしていない時だし
そのタイミングによっては「今、ココで運使っちゃったらもったいない」と
思ってみたりもする。
そして、思う。
神は気まぐれで、決して人に平等ではないと。
だから、辛いとき、苦しいとき、どうしようもなくてすがっても
助けてはくれない。
他人を見ていても
何でこんないい人がこんな思いをしなきゃいけないの?と
その理不尽さに恨む気持ちになった事もある。
神、あなたは私をどう見ていますか?
私の残りの人生の中で、あなたは私に何をするのだろう?
輝く眩しい時間は私に訪れるのだろうか?
ふとした時に運が向いてきた?って思える瞬間がある。
それは滅多にないのだけど、突然やってきたりする。
そして、手を伸ばしてつかもうとしていたら
一瞬でその運が手のひらからすり抜けて行った。
スルリと抜け落ちた運は拾う事は出来ない。
喪失感だけが残り、悲しい辛い想いが襲ってくる。
あの時、なぜつかみきれなかったんだろう。
私は何を間違ったんだろう。
また、いつ来るともわからない運を待つ日が始まった。
子どもの頃は、学校とい う場所に通う事で、新しい出会いがあり、
その中で、友達が出来るのも自然な事だった。
決して多くはなかったけれど、私にもそのときどきで、
友達と言える人とのつながりが出来ていた。
でも、歳を重ねていくと、そういう機会が当たり前ではない事に気づく。
あの時、同じ場所・同じ時間・同じ空気を一緒に共有出来た人たち。
今、どうしているんだろう?
今年、知りあいが一気に増える経験をしている。
知りあい→友達に変わる瞬間っていつなんだろう?
その線引きは一体、どこですればいいんだろう?
相手は私の事、どう思ってるのかな?
ラインというツールが出来たことで、簡単にともだち登録出来てしまう。
でも、それで友達になれたわけではなくて。
今、私に友達はいるのかな。
期待はしてなくって、
私の一方通行。
その糸が一瞬奇跡のようにつながった。
そんな嬉しい経験をさせてもらうと
ついついまたしてはいけない期待をしてしまう。
途切れた途端、
振り出しに戻っただけなのに
なぜ落ち込むんだろう。
一度切れてしまった糸を
結びなおすすべを私は知らない。