三線の先生とっても好き(笑)

 

 

いつもお稽古いくのすんごい楽しみ!

 

 

正直先生のイメージ

最初は怖かったし

固いんだろうなーー

 

いややなー

 

 

とかって思ってて、

 

 

 

まったく逆で

 

 

全然違う

 

私の萎縮するこころは日に日にほぐされて行っているし

 

感謝と尊敬のもともとあった念が

安心してそう想えるように

出せるように

少しずつ信頼が増していく

 

 

その人に対して

 

 

何か想うことがあって

 

感謝してたり

 

尊敬してたり

 

お肌きれだねって思ってたり(笑)

 

想ってても

 

言えないときってあって

 

 

その時のタイミングや相手の状況

お互い想いあってるって

両想いだってつながる感覚

 

 

それがないと

やっぱりすべて

 

最初から

感謝と尊敬を

すべて形にすることは難しい

 

お互いがあってのことなんだなって

 

想う今日この頃。

 

 

三線はとても深くて

 

勿論難しい現実的な側面や課題もたくさんあるんだろうけど

 

すごいすごい深い愛を今は感じ取ってる

 

 

それは色んな沖縄という立ち位置の影響があるし

 

人々がどんな風に支えあって

歴史を紡いで発展し連携してきたんだろうって

 

色んな叡智を授けてくれてるような

 

そんな気もする。

 

 

先生が、

 

 

「年末にみんなでお稽古場お掃除して、皆でご馳走食べるからさ」

 

って言ってくれたとき

 

内心うれしいんだけど

 

色んな感情が乱れて

 

リアクションできずぽかーんとしちゃった(笑)

 

年末だけじゃなくて

お稽古場のお掃除

もっとやってもいいんだけどな~(笑)
神社みたいに気持ちいい場所って感じてるから(笑)

 

あと、そんな風に

本当の家族みたいなことしてるんだって思ったら

やっぱり先生ってすごい人だなって

ちゃんと取りまとめてて凄いなって

 

 

あと、もし自分におじぃおばぁが居たら

こんな感じだったのかな?

家族でご馳走食べて親戚家族集まったのかな?

 

とか

 

ずっと心にぽっかり空いた穴が
満たされるような感じがしたり

 

 

とわいえまだ入ったばっかだし

 

しっかりやらなきゃ!とか

 

 

いろーーーーーーーーーんな感情!(笑)

 

 

でもどっちにしろ

 

 

暖かい^^

 

 

こんなに素敵な出逢いをありがとうございます。

 

 

すこしずつ古典の本も読めるようになってきてて

 

“読める”って意味は

文字を読めるとか

 

その意味が分かるとか

 

それもあるんだけど

 

体の中に腑に落ちていく感覚

 

身体で音と文字を読み一致させる感じが

 

少しずつだけど芽生えてきてて

 

“読める”って言葉の意味でさえまた

深みを増しているのでした。

 

弟子入りして一か月半経って

“楽譜読めた”

っていうほんの少しの感覚が

初めてあった日

 

先生に

 

「ちょっとずつわかってきたね」

 

って言われたから先生もそれ感じたんだはず

 

良い師匠に出会っちゃったから

先生のおかげです

 

って自他ともに認める感じです

 

 

そんな三線日和でした

 

 

お稽古も楽しいし

 

毎日ルンルン♪って感じ