続きでございます。

 アイが人間らしさ(これこそAIの本質であるはずです)を取り戻していく過程の中からキーワードを探して次回は考察してみましょう。と前回述べて終わったのですが、人間らしさについては起動した時点で取り戻していましたね。男に「かみ合わない」と言われていてもアイの思考としては人間の言語(日本語)として矛盾していない。雨について、夕暮れの残日について、まるで詩を朗読するように言葉を想起している。想起というのは部分しか発声していないからです。アイが実音として発生している言葉は前半では拡声器を通したようなこもった音声処理がされていますね。アイは涙を流して起動する全後あたりで人間らしさは取り戻しています。ただし愛を知らない可愛げ無い女性としてですが。ここで今回のキーワードは「歌にならない」です。「いい子だ」と男に言われて、涙をこぼして起動した後のアイのセリフ。

 

 ナ・ミ・ダ

 目覚める音楽的に

 ウツクス?(ここが聞き取れない)の水 ナミダ ナミダツ

 ウタニ ナラナイ

 ウツ コガス フクラム

 ああ、言葉ができない

 

 ここまで言葉をつないでブレーキがかかります。例の死の呪文「ビルの49から~」を唱えるのですね。その後のアイがどのように愛を取り戻そうと至ったかの物語については、私の解説や感想は抜きにします。それぞれ聴いた人の感受性や想像力にお任せします。

 

 それじゃあ、何を言いたいのかというと、アイドルAIは楽器でもあるということです。

 

 恐らく原作者が読んでこのドラマを作るヒントにしたのではないかと私が推測している小説があります。宮内 悠介著「ヨハネスブルグの天使たち」というSF小説https://bookmeter.com/books/9829121なのですが、この連作短編集には必ず出てくるロボット(AI)がいるのですが、このAIは日本製でDX9といいます。音楽好きなら分かりますね、これ日本が誇るヤマハのシンセサイザーの名前です。つまり、この小説に出てくるAIは元々楽器が発展したAIなのです。そして冒頭の短編にでてくるDX9は何度も何度もビルに上っては強度試験の為に落下し続けているのです。アイの持つ死のイメージを想起させる物語ですね。

 

 このドラマの冒頭と最後にはハーモニックスの音が聞こえてきます。ギタリストはギターの5フレット、7フレッド上で軽く指で触れ鳴らす音でチューニングをする、このハーモニックスは調律師である男がアイを一つの楽器としてチューニングする物語であることを暗示していますね。過去の彼女が愛した姿「調律が」アイの愛を取り戻す作業であるということです。故障していたアイが「歌にならない」と苦しんでいたのだけど、愛をリサーチ始める時に彼女の「見つけて!」という声が聞こえますが、それは調律師である男が楽器がどんな音を出したがっているのか分かる人なので「(アイがどんな音を出したがっているのか)見つけて!」と言う事だと思います。

 

 そしてアイは愛を見つけて最後に歌います。この歌のタイトルは「無」だそうです。歌の最後は「あの音いつか、かえる」とアイは言いきるように締めています。帰る場所が「無」だとしたら、私が前回の考察が合っているとするなら、そこは否定していた自己の記憶、つまり過去の彼女の記憶に帰るということになるのでしょう。

 

 だから愛の始まり、男と彼女が出会った場面にアイは到達出来たのだと思います。

 

 三回に渡り「AI(アイ)は故障中」について考えてみたわけですが、いかがだっでしょうか?

 私としてはラストはアイと男が共通の記憶を抱いたまま一緒に帰って行ってハッピーエンドにしてほしかったのですが、それはアンチョコな願望です。きっとこのドラマを陳腐にしてしまうでしょう。でも、なんか、役の上とはいえメクラ滅法でも、れにちゃんには幸せに成って欲しいと、そんな錯誤に満ちた気持ちを隠さずに終わりたいと思います。

 

 読んでいただきありがとうございました。