私は尼崎市生まれで、現在は伊丹市に住んでをります。
いづれも昔から在日韓国朝鮮人の方々が大勢住んでいらつしやいます。
父は昭和20年半ば頃から、尼崎市内で質屋を開業してをりました。私の幼い頃の記憶では、よく店へ在日の方がお金を借りに来られたものです。当方にすればお客様ですね。顔を見てもわかりませんが、質札発行のために住所氏名を書いてもらふので、私でも解りました。
ほとんどの方が日本語を流暢に話されましたが、たまに未だ日本語を覚ゑて間もない人が来られました。手真似や筆談(カタカナや絵を書いて説明)で客と父が一所懸命意思疎通を図つてゐるのを目にしたこともございます。
家から着物や時計を持ち出して当方に預けに来るのですが、若い息子が親に無断で持ち出してくることも多々ございます。母親にしてみれば、家の大事なものがよく消ゑるので、ある日息子の跡をつけてみれば、質屋通ひをしてゐる訳ですですゆへ、それは怒るでせう。
私の少年期、昭和30年代は未だ戦後が実感できる頃です。日本人もさうですが、在日の人はとりわけ、たいそう苦労されて来たため、母親は気が強くしつかり者が多いのです。
勢ひわが店にツカツカと入つてきて、息子の襟首をひつ掴んで、或る時は叱りつけ、又はアイゴーと泣き叫び、修羅場が演じられます。
息子は息子で大人しく叱られてゐる者も居れば、怒り狂ふ者もおります。
うるさくて宿題どころではない私は、扉の隙間に目を押し付けて、一部始終を眺めてゐるのでございます。
その修羅場も、いつしか収まる気配がでてくると、母親は「ケンチャネ、ケンチャネ」と呟(つぶや)いて、ようやく場が収まり、2人肩を並べてすごすごと帰つてゆくのでございました。
韓国人のお母さん、お婆さんが何かあれば口癖のように言ふ言葉が「ケンチャネ」でした。気にするな、心配するな、何とかなるさ…というような意味合ひの言葉で、沖縄の「ナンクルナイサー」やイタリアの「ケセラセラ」に近い心情だと思ひます。
アメリカの「テイクイットイージー」やイギリスの「レットイットビー」も、同様の意味がございますが、何となく雰囲気が異なるやうに感じます。
「ケンチャネ」といふ言葉からは、弱い立場の者でも「明日があるさ」と無理して笑はむとする健気さが感じ取れるのでございます。 〈次回へつづく〉


