古稀を過ぎたトリトンのブログ -59ページ目

古稀を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 今日は、三島由紀夫・森田必勝両烈士が市ヶ谷駐屯地にて憲法改正と自衛隊決起を呼びかけ自刃された日から数へて丸49年に当たる日でございます。

 本ブログでこの慰霊碑をご紹介するのは、年1回、今回で3度目になります。

 

 

 昨24日は、三島氏の本籍地 加古川市志方町に建つ慰霊碑へ清掃に参りました。曇り空ではありましたが、雨が降ることはなく、いづれかと言へば暖かい程でした。

 

 私どもがこの慰霊碑の存在を知つて、仲間を集めて清掃奉仕をしようと思ひ立つてより、もう30年以上を経過します。当時は草茫々で所々廃材が置いてあるやうな廃れた雰囲気でございました。その頃は地元に住む人でさへ首を傾げるほど、その存在は忘れ去られてをりました。 

 その中で、地蔵尊のお守をされてゐた神田さんといふご老人が一人おられました。その方は我々が清掃に勤しむ姿を見て、平岡さん(三島氏の本名)と一緒に兵隊検査を受けた時の思ひ出話をして下さつたものでございます。

 

 今や、この場所は地元自治会や老人会はじめ志有る方々の尽力により、昨日も高々と国旗が掲げられ、花や清酒もお供へされてありました。深く感謝し厚くお礼申し上げたい気持ちです。

 

 

 以前申し上げましたが、この慰霊碑が建つ場所は、写真にありますやうに「玉の緒地蔵祈願所」と申しまして、生まれた子の臍の緒を収めて先祖に感謝する処です。その地蔵尊の一番奥まつた処に建立されてをりますゆへ、お詣りされても気づかぬ方もいらつしやいます。存在を示す板札も、写真のやうに地味で小さなものです。

 

 

 「どうして神社でないんだ?」とか「地味すぎる」と疑問を呈する方もおられますが、霊を慰めるといふ気持ちは、霊と私ふたりで通ひ合ふものですし、むしろ邪魔な飾りが無いのも宜しいのではないかと感づるのでございます。

 

 

 昨日は、遠く仙台から四人で車中泊で飛ばして来られた方、ほかにも鹽竈、東京、京都… 遠方から来られた方が半数を占めました。東京には「憂國忌」「野分祭」、ほかにも三島氏を偲ぶ集ひは数々ございますが、かうして故人の本籍地である兵庫の地にて有志が多数集まつてくださるのは、とても嬉しいことでございます。この場をお借りして、重ねてお礼申し上げます。     合掌

 

ペタしてね ペタしてね