過日 zero_wife さんのブログを拝読し、思ひ出した話をお聞き下さいませ。
もう40年も昔のことになります。
大阪キタの西天満でステージのあるラウンジ(スナックより少し上クラス、クラブより下クラス)へ、当時私が赴任してゐた阪神百貨店の上司に連れて行つてもらひました。
その話に入る前に、読者の方にお尋ねします。「桂おかる」さんといふ落語家をご存じでせうか?桂小文枝(当時)門下で、今の文枝(三枝)師匠と同じ関西大学出身の落語家でいらつしやいましたが、どちらかと言へば話がお得意でなく、テレビに出演しても噺家としてではなくバラエティで弄られる役どころが多い方でございました。
そんなおかるさんが一躍有名になつたのは、昭和52(1977)年「いたずらカメラだ!大成功」といふ番組でした。「動物園の檻の中に居る女性アイドルを驚かせる」といふ設定のもと、ライオンのぬいぐるみを着たおかるさんが、後方の発砲スチロール製の壁を破つて檻に飛び込むといふ流れでした。アイドルを驚かせやうと飛び込んだ檻の中には、実は本物の雄ライオンが(鎖に繋がれてゐるとは言へ…)牙をむいて待つてゐるのです。
現場のスタッフ、スタジオの司会者や見物客、そして私どもお茶の間の視聴者、皆が驚いたり大笑ひしたりする訳ですが、おかるご本人は恐怖の余り泣き叫んでをります。この時に氏は、じゃれついてきたライオンの鋭い爪に掻かれ脇腹から流血した次第。
この番組は一時期社会問題にもなりました。
それから間もなく、おかるさんは結婚されます。現代でもお笑ひタレントは何故か美しい女性と結婚される例が多うございます。おかるさんの場合も、その例に漏れず、目を見張るやうな美人の奥様と結ばれました。
何と偶然なことに、冒頭申し上げました、私の上司がその奥様の友人だつたのです。
事もあらうに、連れて行かれた店の名前は「ライオン」といふのです。おかるさんの、精一杯のブラックユーモアと申すべきでせうか。そして店のママは奥様です。
おかるさんは、正直申し上げてお店の裏方さんで、椅子を並べたりマイクを客に渡したり… 印象としては、美しく華やかなママさんの「ヒモ」以外の何者でもありませんでした。
この日、私は若さのせいで、無神経なミスをしてしまひました。カラオケで私の選曲注文が回つてきた時、不用意にも自分の十八番「浪花しぐれ・桂春団治」を頼んだのでございました。上方落語に詳しい方ならご存じでせうが、初代桂春団治は高座に命を賭けた人です。酒と女性が大好きで借金をこさえ、債鬼に追はれて女房に何度も逃げられた、無軌道で破滅型ではあるが芸の巧みさで大衆に愛された歴史上の人物でもございます。浪花しぐれ・桂春団治は左様な春団治の生き方を謳つた歌謡(歌手は浪曲師・京山幸枝若)なのです。
申し上げてみれば、同じ「桂」の流れに属しながらも、この店の経営者・桂おかるさんと正反対の生き方をした人なのです。このやうなコアな歌を注文されて、おかるさんが気分の良からう筈がありません。そのせいでせうか、私が頼んだ曲はなかなか懸けて頂けませんでした。
長らく待つてようやく歌ふ事が出来、満場の大喝采を受けましたが、おかるさんが周りの酔客から「おかる!わかつてるか?お前も噺家やろ!」などと、心ないヤジを飛ばされてゐるのを聞き、私は遅ればせようやく自分の選曲の浅はかさに気づいたのでございます。
聞けば、桂おかるさんは数年前、福祉法人への寄付を偽装した脱税の容疑で逮捕され、起訴猶予となつたものの、吉本を退社することになつたとか。吉本と言へば昨年の事件を思ひ起こしますが、お笑ひ・芸能の世界は一見華やかに見ゑるやうで、今も昔も綱渡りの社会なのでせうね。

