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古稀を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります


 人は誰しも、己の心の琴線に触れる出来事やお話、楽曲があるのではないでせうか。

 

 例へば以前お話し申し上げたことがございますが、私は童話「泣いた赤鬼」を読むと、この還暦過ぎたオヤジのくせにボロボロと泣いてしまひます。また、辛島美登里さんの歌「幻」を聴いても、やはり涙が止まらなくなるのです。

 

 そして何よりも、少年時代から私がハマり込んでしまつたのが二・二六事件。そして「青年日本の歌」でございます。

 

 今日は2月26日。84年前(昭和11年)のこの日未明、陸軍歩兵第1連隊、第3連隊、近衛歩兵第3連隊などの一部を率いた青年将校が蹶起、権力を恣にする(と思はれた)軍閥・財閥・重臣を襲撃し、陸軍省などを占拠して天皇親政を求めるのです。詳しい目的や推移は(ご存知なき方は)検索をお願ひします。

 

 蹶起した尉官クラスの将校は無論陸軍士官学校出身者のエリートですが、陸大卒のキャリア組とは異なり、隊付き。つまり、下士官や兵と共に汗を流す「現場」の青年幹部です。初年兵の中には飢饉に苦しむ東北地方から出てきた二等兵が居ります。彼らから聞く故郷の話は、姉が身売りをしたとか、自分が出征して名誉の戦死をすれば親に金子が下されて楽をさせてやれる… などといふ悲話が多々ありました。

 

 

 中でも歩兵第3連隊の安藤輝三大尉は、特に兵から慕はれました。人徳に優れ、上官からの信頼も厚く、他の青年将校から共に蹶起を求められても最後の最後まで承諾しません。その彼が参加を承諾するのは3日前の23日でした。因みに、安藤部隊は全反乱部隊の60%を占めます。

 

 彼が襲撃を申し出たのは、何と自分が以前世話になつた鈴木貫太郎侍従長でした。他の部隊によつて討たれるよりも自分が… と考へたのでせう。鈴木は襲はれて弾を受け瀕死の重傷を負ひますが、奥方の制止により安藤大尉はとどめを断念します。後年、鈴木は「安藤は私の命の恩人だ」と語り、安藤の死を悼みます。因みに、鈴木貫太郎氏は昭和20年、大東亜戦争を終戦に導いた第42代総理大臣です。

 

 ご存じの通り、蹶起は肝心の天皇から「逆賊」とされ失敗に終はります。28日頃から他の将校は続々と帰順(兵を纏めて原隊に帰ること)を承諾します。その理由は「このままでは、逆賊となる兵が可哀想だ」と言ふのです。

 ところが、安藤大尉は違ひました。「兵が可哀想だからこそ蹶起したのではないか!」と、ぎりぎりまで赤坂山王ホテルに立てこもります。安藤以下、兵に至るまで一糸乱れぬ結束を誇つたのです。

 しかし「もはやこれまで」と察した安藤は29日に遂に帰順を受け入れます。隊士が全員で「歩兵第3連隊第6中隊歌」を泣きながら唱和する中、安藤大尉は拳銃で喉を撃ち抜き自決を図るのです。

 不覚にも弾丸は急所を逸れ、結局は軍法会議にかけられ、昭和11年7月12日、31歳の若さで銃殺刑に処せられます。

 

 安藤大尉はいかに無念だつたことでせう。こうして、思ひ出すままに拙文を綴るだけでも、こみ上げるものがございます。

 この場をお借りして二・二六事件関連物故者を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

               合掌

 

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