昭和30年代に小学生時代を送りました。
私どもの街「尼崎・立花」にスーパーマーケットが建つたのは昭和40年代あたりなので(主婦の店マルエー)、世の奥様がたが日頃食材などの買ひ物をされるのは、公設市場でした。
今や商店街も店がまばらな時代ですから、公設市場などといふのは「ふた昔前」といふことになるのでせうか。
母のお遣ひで、私は毎日のやうにこの公設市場「立花南市場」へ夕食の食材を買ひに行つたものでした。
少しばかり経済の話を致しますと、当時(50年前)と現代を比べても余り値段の変はらないものが、私の記憶で二つございます。それはバナナと鶏卵です。
私の小学生時代には、バナナは遠足と運動会以外では口にすることもございませんでした。それほどの贅沢品だつたのです。当時はバナナには二種類があり、ひとつは台湾バナナ、もう一つはアメリカバナナと名付けられてをりました。アメリカバナナといふのは恐らくフィリピン製だと思はれます。不幸なことに、あの頃台湾バナナにコレラ菌が発見されたといふ事件があり、私もTVで台湾バナナが大量に処分されるのを見て覚へてをりますが、これ以降我が国のバナナ市場は一気にフィリピン製が占めるやうになりました。余談ですが、このバナナが50年前と値段が変はらないとすると、いかにフィリピン国民の収入が上がつてゐないのかが察せられるといふものです。
をつと…卵の話でしたね。
立花南市場の北入り口に乾物屋(かんぶつや)さんがありました。乾物屋には魚の干物や高野豆腐、干瓢などが売られてをり、中でも最も広いスペースを占めるのが鶏卵です。卵の大きさによつて1個8円から13円くらひに値段が分かれてをります。「卵10個下さい」と私が言ひますと、威勢のいいお姐さんが「あいよっ」と答へ、卵を片手に2つずつ、中指を挟んで持ち、それを天井からぶら下がる裸電球にかざします。おそらく光で透かして、黄身の状態から新旧が判るのでせうか…。その動作を5回繰り返して、計10個の卵を紙袋に入れてくれるのです。今のやうにパックもクッションも何もありませんから、紙袋に入つた卵は大事に大事に両手で抱へて持ち帰らねばなりませんでした。
先述のバナナほどではないにせよ、鶏卵も結構贅沢品でした。
JRのキオスク(当時は国鉄弘済会と言ひました)にはネット袋に5個のゆで卵が入れられて吊るしてあり、旅行客に人気でした。なぜか食塩が卵殻の外に付着してをり、肝心の卵に塩味が付いてゐないのは不思議でしたが、旅の汽車の席に座つてそれを食べるのが庶民の喜びだつたのです。おそらく現代の、山のやうに豊富な茶菓が発売されてゐる時代では、そのやうなものが売れ筋になることはないでせうね。