古稀を過ぎたトリトンのブログ -232ページ目

古稀を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 私が「国民の常識」と思つてゐた「ロバのパン屋さん」を、同い年の私の妻は知りませんでした。どの地域で営業されてゐたのか存じませんが、妻は鹿児島生まれだつたから知らないのかも知れません。
 そこで彼女に尋ねてみると、私が通つてゐた神戸と鹿児島とでは、同時代でもかなり事情が異なることが判りました。

 終戦直後、我が国の食糧事情や衛生事情を憂慮した政府とGHQ(占領軍)は様々な施政を行ひました。食糧については前回も少し書きましたね。衛生の面では、ノミやシラミの駆除を行なふため、小学校では全校児童の頭や体にDDTを噴霧したことがよく知られてをります。

 本ブログに多いプロレスファンの読者の皆様は、DDTと言ひますと脳天逆落としを想像されるでせうが、さうではありません。DDTとは、昆虫類に対する神経毒として殺虫作用をもつ塩化ジフェニルエタン系化合物であり、当時はこの白い粉を振り掛けるのがシラミ退治の手法だつたのです。

 妻と話してゐて判つたのは、昭和30年代の或る時期まで、九州地方では子供のシラミ駆除のためにDDTを使用してゐたことでした。DDTは白い粉で、頭にかけると髪の毛が真つ白になつてしまひます。その処置自体は親からも聞いてをりましたが、一世代後の私どもの年代でも「白い髪」を経験した人が居たことに、地方それぞれの事情を拝察することができす。

 さて私の尼崎の実家では、私の幼い頃から「冷蔵庫」がありました。ほとんどの家庭には未だ無かつたやうに存じます。現代の日本人には当たり前の冷蔵庫ではありますが、当時は上下段ふたつのドアに分かれてをり、上段には氷を容れるのです。冷気は下に降りますので、下段に野菜や豆腐など生ものを収納するといふ仕様です。

 当然、冷凍室は有りません。下段は冷蔵と言つてもせいぜい5〜10℃くらいにまでしか下がらず、さつと開けて麦茶を出し、またさつと閉めるといふ動作が求められました。私ら子供がぐずぐずと下段の「わらび餅」を探したりしてをりますと「早やう、閉めんかい!」と叱られたものです。
 それでも、この冷蔵庫で冷やしたサイダーや西瓜はなかなか冷たかつたものです。家に井戸がある家は都会ではもう少なかつたですが、井戸水で冷やした西瓜やビールが夏の風物詩だつたことを思ひますと、昔は現在のやうにキンキンに冷えたものでなくとも、満足して夏の猛暑日をしのいでゆくことが出来たのでせう。気温36度…などといふことは当時は無かつたと記憶してゐます。

 この冷蔵庫に、二日に一度くらひ、近所の氷屋さんが大きな氷を手鉤で運んできて、冷蔵庫の上段に容れてくれるのです。
 私が5歳の頃、我が家に父が飼つてゐた愛犬ヒトミ(マルチーズ)が、玄関の縁の下でお産をしてゐたことがありました。その時は家族の誰一人知らなかつたのです。ところがそのヒトミ、小型犬の割に凶暴で、恐らく産まれたての仔犬を守らうとしたのでせう、玄関を開けて入つてきた氷屋のおばさんの足にガブリと噛み付いて怪我をさせてしまふ大事件もありました。

 木を削るカンナに箱を取り付けたやうな形の「かき氷製造器」もありました。これで上段の氷の表面をガリガリこすりますと、削れた薄い氷が箱の中に溜まり、これを丼にあけて、練乳やあずきをかけて食べるのが、我が家の夏の楽しみでした。

 台風10号で若干涼しくなつた日本列島ではありますが、まだまだ残暑は続くと思ひます。どうか私の氷ばなしで一瞬の涼を味わつていただけますれば幸甚です。