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古稀を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 それがしが思ひ出す「父の商道修行途中の失敗」の二つ目は、「守秘義務」に関する事です。

 

 質商を営む上で、あまり人情深い性格は不向きのやうです。

 

 「蔵の在る家〈1〉」で触れましたやうに、お客様の中には「奥様の着物や親の貴重品を家から持ち出して預けに来られる御仁」が居ると申しました。身内の品でも友人から借りた品でも、質草として預かつて金を貸し付けた以上、質商に携はる者はその秘密を守る義務がございます。来店した客の名前はおろか、何を預かり、幾ら貸したといふ事実を他者に漏らしてはなりません。もつとも前回お話ししました贓物(盗品)ならば別ですが…。

 

 ところが実際には、なかなかさうはゆかぬ場合もございます。

 

 

 例へば、内緒で奥様の着物を預けた亭主のズボンのポケットから質札を、その奥様が発見する場合もございます。奥様がそのご亭主に質札を見せつけ、「あんた、これ何やの? 婦人着物…つて書いてあるやん!」… 夫婦喧嘩の末、ご亭主の耳を引つ張つて、ご一緒に来店されることもあります。当店で修羅場が演じられる場合もございます。かういふ場合は当方に何の落ち度もございません。嵐が過ぎ去るのを待つのみです。

 

 

 難しいのは、奥様が自分の着物が無い事に気付き、過去の経緯から察して、ご亭主に黙つて当店へ確認に来られた場合です。

 

 「うちの主人、女ものの着物、預けてません?」… 此のやうに問はれ「はい、預かつてます」などと、断じて言つてはならないのです。「取引上の秘密は明かせません」と言ふべきなのです。しかし、これが常連客となると、なかなかさうクールはゆきません。困り果ててゐる奥様の顔を見れば、質屋とて人間です。「実は…」と預かつた旨を明かし、値段によつては奥様が引き出して帰られることもございます。

 

 さて、ここからが問題です。

 ご亭主が大人しい御仁であれば何事もなく終了です。ところが或る日、訪ねてきた男は、奥様が既に質草を引き出してゐたことを知ると机を叩いて怒りだしました。

 「お前んとこは、客の秘密を守らんのか!」と大声で父をどやしつけます。

 そして最終的に「守秘義務」を怠つた父の弱みにつけこみ、質草の弁償を求め、最初貸し付けた金額の数倍の金を要求、意気揚々と奪ひ去つたのでした。

 もしかすると、奥様が引き出したことを初めから知つた上で因縁をつけてきたのやもしれません。さらに疑へば、最初から夫婦で合意の上やも知れません。

 

 いづれにせよ、落ち度は質屋の側に有り、事件にすることはできないのです。親切心が仇となつた訳ですね。父は今後の商道への貴重な体験として、涙を呑んで諦めたのでありました。

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