兄はこの4年生になる前あたりから、有名私学を受験すべく、勉学に勤しむやうになりました。
父母、とりわけ母がいつから教育熱心になつたのかは存じません。おそらく同じ滋賀県に生まれ、尼崎市に住まひする父の許へ嫁いで参つた頃より、知人の居ない土地に住む寂しさから、我が子に英才教育を施すことに生き甲斐を見いだすやうになつたのではないか… 左様に私は愚考致しをります。
思へば、現住所の立花(尼崎市)から、わざわざ越境して神戸に在る小学校へ通はせることに思ひ至つた、その当初から、母が教育ママになる兆しは有つたのではないでせうか。
何しろ神戸市は兵庫県の県庁所在地で、当時我が国の七大都市に数ゑられ、且つ国際都市として注目されてをりましたので、当然、教育水準も高かつたのです。我が息子に最高の教育を施し、将来は出世させたい…といふ母の大志が、いやが上にも燃ゑ上がつたことは想像に難くありません。
兄を有名私学(灘、甲陽、六甲等)に進学させる為に、くだんの神戸市東灘区の某小学校へ入学させます。学年で常にトップクラスの成績であつた兄には、先ず優秀な家庭教師をつけなければなりません。
記憶すべき最初の家庭教師、それは誰あらう、Y教諭の旦那様(別の小学校の教諭)だつたのです。
この辺の経緯は、今となつては解明のしやうがありません。さては母から頼み込んだか、Y教諭の方から働きかけがあつたのか… そのいづれか又は双方であらうことは容易に察せられます。恐らく母の野心と、Y教諭の学級担任としての名誉、或いは経済事情が、ひとつの目標で一致したものと考へられます。
但し、現役の担任教諭の縁に繋がる者、いみぢくも夫が教ゑ子の家庭教師に納まるといふ状況が、世間一般の常識として果たして妥当や否や… 当時幼少のそれがしの知る処ではありません。
斯くして、週に一、二度、Y教諭の夫君であるY氏が我が家へ訪ねて来られ、兄のお受験教育が始まりました。4年生の半ばには、既に5年生の算数・理科を理解するやうになつた兄は、天下の「灘中学」にその照準を合はせることとなりました。
ところが兄が第5学年を迎へた頃、トリトン家に一陣の雷鳴が轟き渡つたのです。
それは、Y教諭と、夫Y家庭教師との離婚騒動でありました。
(つづく)

