「還暦を過ぎたトリトン」と名を改めて早くも5年を経過し、気づけば前期高齢者の仲間入りを致すことになつてしまひました。
本業の印刷デザイン業の傍ら、この間まで宅配便の早朝アルバイトも25年続けて参りましたが、さすがに重量のある荷をかつぐのは年齢的に無理がございます。そこで、宅配便は退職して、市のシルバーセンターに登録し、軽作業の紹介を申請致しました。
シルバーセンターで紹介してもらふ仕事は、余り体力を要する厳しいものは少なく、病院や会社施設の清掃が約半数を占めるやうです。
そこで折しも霊園施設の清掃を見つけて、引き受けることに致しました。作業内容は、半ヘクタールほどの墓地(共用部分)の清掃に携はるほか、墓に供へられた仏花が枯れてゐればそれを撤去、お供へ物の菓子や飲み物は無条件で廃棄処分するといふものです。
私がこの作業を選んだのは、一人だけで作業できること。また勤務時刻が決められてをらず、自分が行ける時に行つて、所定の作業が済めば帰れば良いといふ、B型の私に打つて付けの契約内容のおかげです。
夏は朝4時くらひであれば、空も白みかけてをり作業も可能ですゆへ、私はその時間帯を選んで自宅から自転車を飛ばしてかけつけます。
この霊園には新旧さまざま、仏式、神式、キリスト教式と様々な墓石が並び、また、時代も近年亡くなられた方を祀つた新しい石が有るかと思へば、明治、大正、古いものでは嘉永年間のものも有ります。古くなれば石は割れたり、剥離して法名さへ解読できぬ場合もございます。
その日私が見たのは、どうやら墓守りする親族が居られなくなつて久しいやうな明治年間のものでした。「墓仕舞ひ」と申すのでせうか。専門業者の方が墓石を撤去してをられました。新しい墓であれば、石の下に扉があり、そこへお骨を収めるのでございますが、このお墓には扉が無く、石の下にまた石といふ感じで、かなり深く掘り起こしてをられました。
そのまま見るともなく、いや実は、興味津々で私が眺めてをりますと、業者の若い方が2人、腕を組んで沈思黙考してをられる姿が見ゑます。その足下には大量の白いものが出土致しをりました。おそらく白骨でせう、それらはほとんど細かく砕けてをり、原型を留めない状態でした。覚ゑず合掌する私でございました。
あくる出勤日、仕事前に着替へをとロッカーへ向かひます。部屋といふよりも物置スペースです。未だ夜が明けてをらず、真つ暗な部屋のドアを開けて手探りで歩いてゆきますと、突如足の下が柔らかくなりまました。何事ならむと頭上の電球を灯した私は思はづ「ギャ」っと声を上げてしまひました。先日私が見た骨の欠片と大量の土が、ブルーシートの上に積み上げてあるではございませんか。私はその土の上を歩いてゐるのでした。もしかすると骨も踏んでゐたかも…。
早朝と申しますより未明の時間帯。広い霊園施設には私一人しか居りません。誰に相談もできず、動揺したままの私は取り敢へず着替へをすませ、外で頭を捻つて考へました。
以下は私の想像ですが、先日の業者が恐らく出土した骨を一旦ブルーシートに包んで、雨風の当たらぬロッカー室へ運んだのでせう。霊園では、勝手に処分することも出来ず、取り敢へず警察の鑑識を呼んで、本当に明治時代の骨なのか、新しい骨が混じつてゐないか… 調査してゐるのではありますまいか? すると、その土の上に付着した私の足跡は、如何なる扱ひになるのでせう?
ミステリー小説大好きの私は、少し震撼を覚ゑると同時に、知的興奮をも感ずるのでございました。
あれから数週間が経過いたしますが、幸か不幸か司直から私への呼び出しは、未だございません。 〈完〉