ほとんどがくだらないニュースを流しているiPhoneニュース欄で、衝撃的な記事を見つけたので、それについて書いてみた。

 

「東大生を見世物にしてあざ笑う」TV局の軽率 | リーダーシップ・教養・資格・スキル東大卒は同窓生が少ない地方の職場で逆学歴差別を受けることが少なくない。時には露骨にいじめられることもある。僕の所属していたtoyokeizai.net

 

記事の内容としては、某テレビ局が東大生をいじることで番組化しているということである。

問題はその「いじる」ことなのであるが、例えば下記のようなことだったらしい。

東大生に昆虫でも食べさせていたのでしょうか、『自分も虫食ったりすんの? きしょ(気持ち悪い)』なんて理由もなく中傷をされたりもしました。

 

私はあまりこの番組は見たことないのであるが、確かこの虫の回は覚えていて、

将来地球の人口が増えすぎて食べ物がなくなったときのために、昆虫食の研究をしている東大生だった気がする。

私は学生時代、なぜか自分の大学ではなく、東大生と一緒になってプロジェクトをやることが多かったのであるが、

東大生の友達には尊敬の念しかなかった。

 

なぜか。それは、

自分の世界観があるから

 

特に理系の人たちは自分の世界観に対する熱量が本当に強かったと思う。

わたしは文系なので、理系の人たちが持つ、彼らのマイワールドに憧れていた。

 

例えば、花鳥園を開きたい、とか、物理は最大と最小の世界を研究する学問だ、とか普通に言っていた。

一般人の私からすると、どゆこと?と突っ込みたくなってしまうが、

同時にその背後にある彼らの世界観を少しでも知りたいと思って、よく話を聞かせてもらっていた。

 

その世界観の背後には、ロマンがあり、自分のこだわりがあり、強い信念が常に存在していた。

花鳥園でも、物理でも、虫でも、その先に何かあるんじゃないかという好奇心・冒険心が彼らの中にはあった。

この強い世界観がある人や独特の世界観がある人は、一般社会からすると、

「社会不適合者」とか「変人」扱いされてしまうことがある。このテレビ局の話も、その1つである。

 

でも私は、結局社会を変えているのは一般的に「変人」扱いされてしまっている人たちなのではないかと思っている。

スティーブ・ジョブズも、イーロン・マスクも変人でしかない。

 

にもかかわらず、なぜ私たち、日本の社会ではこのような人たちが、嘲りやいじり、笑いの対象にされてしまうのだろう。
私は、この事実は同じ日本人としてとても悲しむべきものだと思った。

 

最近NijiUをプロデュースしていたJYParkが印象的な言葉を残していた。

人のいいところを見て、尊敬する

非常にシンプルなこの言葉を実践するのは、難しいことだと思う。

 

しかし、このアティチュードがない限り、日本の社会では変人たちから生まれてくる新しい世界、

面白い未来を望むことができないのではないか。

 

この記事を読んだときは、日本人としてショックだったし、

同時にこういうアティチュードを変えていけるように少しでも行動を起こしていきたいと思った。

「これで人に見せたらいいのか」
「これで上司に報告したらいいのか」
「こんな出来のものでいいのか」
「100%の出来にしなければ!」

 

よく聞くセリフである。


私も、少し前までは「こんなもの出したら、どう思われるんだろう…」と怖くて、初動が遅くなっていた。

 

しかし、今は30−40%の出来で人に見せても、なんとも思わなくなった。

 

グローバルなビジネス環境で働いたり、スタートアップ的な新事業開発の仕事をしていると、

日本の「完璧を求める」という姿勢は、仕事のスピードも遅くなるし、

自分も苦しめるし、損だと思っている。

 

もちろん、完璧なものが求められる仕事だってある。

命を守る仕事、社会のインフラを維持する仕事…

仕事の内容によって使い分けが必要というのは重々承知である。

また客先の重役やCEOへのプレゼンなども完璧にして臨まなければならない。

 

あくまでグローバルな環境のスピード感だったり、

新事業やイノベーションなど今までなかった価値を作る仕事について言えば、

100%を求めるのは仇になると私は感じている

 

100%を求めなければならないと思っていた私が、

なぜ30−40%でも人に見せられるようになったのか。

 

1. めちゃ早ければ多少質が悪くてもいいから

 

早いことに価値があるので、早ければ質は少しは大目に見てもらえる。

クイックレビューで30%→60%、60%→80%と質を上げていけば良い。

逆に、遅ければ遅いほど相手の期待値が高くなるので、同じ質のものを出しても辛口評価になる

 

2. 完璧を目指して悩んでも結局フィードバックされるから

 

自分の力だけで完璧を目指しても、結局自分が出来ることには限界がある。

どうせフィードバックを受けるのなら、もったいぶらないほうがいい。

何日寝かせても質にあまり変わりは出ない。

 

3. 相手や客のフィードバックを聞かない限り価値のあるものは作れないから

 

2と似ているが、自分の力だけでどんなに頑張っても、限界がある。

特に新事業だったら、カスタマーのフィードバックをどんどん受けていくべきだ。

届けたい相手の声を聞かずして、どうやってその人に価値を提供することができるのだろうか。

死ぬわけではないので、フィードバックを受けまくろう。

 

4. 出来てなくても自分自身がダメなわけじゃないから

 

日本人によくあることだが、自分が出来ていないことと、自分自身の価値が混合されてしまっている。

出したものの出来ややり方が良くなくてフィードバックを受けても、

それが自分自身がダメだということではない。


自分は今はここまでしかできないんだな、と潔く認めて、

フィードバックされたことを真摯に改善していけばいい話だ。

 

 

このようなマインドセットの変化があって、今では完璧なものを追い求めて悩むことがなくなった。

 

部署やカルチャーもあると思うので、使い方には注意されたい。

ただ海外で働く、新事業を立ち上げるという、起業するという意味では、

このようなマインドセットが重要視されるはずだ。

 

脱完璧主義、しよう。

28歳、OL。シンガポールにある大手日系IT企業のRHQで経営企画として働いています。

 

普段やり取りするのは、RHQのCEOや現地法人の支社長レベルの方々が多いです。

日本にいた時も、経営企画にいたので、3桁億の事業部のトップの方々と仕事していました。

 

新卒から今まで、そんな百戦錬磨で勝ち上がってきた凄腕経営層と20代女子社員という立場で関わってきた私が、

最近改めて考えたことがあります。

 

「実力か愛嬌か」

 

そんな方々はオジ様なので、若手女子のことを可愛がってくれるというのはあります。

 

ですが、「ただの可愛い女子」 にとどまってしまうか、「なんか、仕事任せてもいいかな」と思われるかの差は、

やはり実力を見せられるかどうかの差になるのかなと思います。

 

20代女子というのは、ちょっとトリッキーで、愛嬌や生意気さで仕事ができてしまいます。

 

笑顔でいれば、まあなんとかなる時もある。困っていても、誰かが助けてくれる。

可愛いから受注が取れるのか、まではわかりませんが…

20代女子という生き物は、愛嬌という武器を大いに活用できる時代でもあります。

 

または、ちょっととんがっているというキャラだけでもハッタリをかませることができます。

20代女子だけど、ちょっと生意気なヤツという位置付けで、注目されることもあります。それも武器になります。

 

 

しかし、そういう愛嬌やハッタリが通用するのは20代までだろう感じます。

その武器以外のものを研鑽し忘れてはいけないのも事実。

 

表では愛嬌や生意気さを振り回しておいても、陰で実力を鍛え続けることを怠ってはいけないと思います。

そう、湖面をスイスイと泳ぐ白鳥のように。彼らは水面下では必死に足で水を掻いています。

 

私が思う実力とは、

やらなければならないところで成果を出せること

と思っています。

 

愛嬌を振り回していても、生意気さをぶっぱなっていても、やらなければならないところでしっかりやる、決める、成果を出すことができれば、その可愛さや生意気さは、キャラの1つとなってきます。

 

しかし、そういうことなしに、ただ可愛い、ただ生意気だけになってしまうと、

実力勝負になってくる30代以降で痛い思いをすることになるのではないかなと思います。

少なくとも、私は今そういう思いで仕事をしています。

 

女子だからこその愛嬌、生意気さは、男子には持ち得ていない、めちゃめちゃ強い武器です。

20代のうちは、どんどん振りかざせばいいと思います。

 

その強い武器を使いこなすためにも、水面下の水掻きを忘れてはなりません。

美しい薔薇のトゲに注意せよのごとく、

「20代女子だから可愛いだけでしょとナメてると痛い目見るよ」って言ってやりましょう。

私の周りのプロフェッショナルの世界や、グローバルな世界に身を置いている人たちは

総じて向上心が高いと言える。常に、もっと自己成長できないかと考えている。

 

その人たちと話していて、共通することが見えてきた。

それは「自分を知りたい」という欲求であった。

 

すごく悩んでいる、というネガティブなものから来るものではなく、

もっと自分の力を使うことができないか、というポジティブな現状不満足感からくる自己理解である。

 

私が思うに、プロフェッショナルの世界や、グローバルな世界に身を置いている人は

「自分が世の中にどう貢献できるか、どう価値を出せるののか、自分の価値は何のか」

と考えざるを得ないことが多いのだと思う。

 

プロフェッショナルの世界や、グローバルな世界で

「個」として生き残っていくためには、

一定のレベルを超えていく必要がある。

 

一定のレベルとは努力でカバーできるレベルだ。

自分の能力に、かなり高いクオリティが求められるが、ここまでは努力で何とかなる。

 

しかし、その上まで行こうとなると、ただ努力するだけでは乗り越えられない壁ができてくる。

その時に必要になってくるのが、自分の特性・強みを生かしてブレークスルーするということだ。

 

他の誰かにはない、誰かの真似ではない、

唯一無二の自分だけの才能、強みを、武器として使っていくのだ。

自分にしか出来ないこと、出せない価値を作っていくのである。

 

そのためには自分のことを知らなければならない。しかも、客観的に。

自分が認識している適性や強みだけでなく、

客観的に、誰もが見てそれが強みだというところを見つけていかなければならない。

その結果、自分にしか持っていないもので社会や世界に貢献していくことができるのである。

 

だからプロフェッショナルやグローバルでも成功している人たちは

「自分を知る」ということをとても重要に思っているのだ。

 

私が英語に触れ始めたのは、幼稚園のECCから。

かれこれ20年以上、英語を勉強、実践している。

 

その間、イギリスやアメリカに留学して、今はシンガポールで英語を使って働いている。

 

そして、やっと英語が自分の中で「無理せず話せる」というレベルになってきた。

 

そんな中で気づいた、英語をそれっぽく話すコツを紹介していきたい。

 

英語をそれっぽく話すコツ、その3。

 

口の筋肉を鍛える

 

騙されたと思ってやってみて欲しい。発音のクリアさが全然違ってくる。

 

私は、普段の日本語の会話はかなり省エネで行うし(身内限定であるが)

滑舌も良い方ではないので、基本的に口の筋肉があまり発達していなかった。

 

そのため昔は英語の発音がどうしてもうまくならなかった。

しかし、当時は原因がわからなかった。

 

シンガポールに来てから、中国語を中国人と学び始めたのであるが

中国語は発音命の言語。

 

冗談抜きに最初の半年は発音(ピンイン)の練習だけだった。

日本語にない発音を習得するために、ひたすら口や舌を動かしていた。

 

その同時期に、なぜか英語の発音もうまくなっていった。

発音にハリが出てきたのである。

 

そして気づいた。英語の発音が下手だったのは、口の筋肉が原因だったのだと。

 

感覚的ではあるが、日本語は私のように省エネでも会話ができてしまうので

口の筋肉はあまり発達しない言語のように感じる。

 

というより、発達させる必要がない言語だと思う。

声のトーンがきつかったり、あまりにもハキハキ話すぎると嫌がられてしまうこともあるからだ。

 

しかし、日本語の口筋力のままでは、残念ながら英語は上達しない。

口筋を鍛えよう。

 

ちなみに、私のお勧めの口筋トレ方法は中国語のピンインの練習である。

 

 

 

 

先日、アメリカ・ベトナムを経て現在ベトナムに住む聡明で社会問題意識が高い女性の方と話し、久しぶりに海外から見る日本の問題点の議論で盛り上がった。

 

トピックは多岐に渡ったが、一番印象的だったのは

「日本ではデモが少ない」ということだった。

 

アジアでも中国・韓国・香港では日常茶飯事的にデモが起こっているし、

欧米では週1のイベントのようになっている。

それに比べて、日本は民主主義の国であるにも関わらず、デモが少ない。

(かくいう私も参加したことはないが)

 

しかし一方、ドラマ半沢直樹の高視聴率を見ると

日本国民は社会が何かおかしいから変えないとまずいのではないかという危機感も僅かながらあるのだと受け取れる。

 

ではなぜ、そういった危機感が行動に結びつかないのか。

きっと、どうにかした方がいいのであるが、自分がどうしたらいいのかわからないので、

結局誰かにどうにかしてほしいという思考回路になるのだと思う。

 

結果的に、ソーシャルメディアでひたすら批判だけする、とか

自分は何もせずリアル半沢直樹をただただ待つ、という社会的によくない方向に進んでしまっているのだと思う。

 

ここで「リーダーシップ」の話を持ち出したい。

リーダーシップとは、「気づいた人が行動して行く」という考え方である。

わかりやすい例でいれば、ゴミを拾うことであろう。

ゴミが道端に落ちていたら、気づいた人がそれを拾う、ただそれだけのことであるが、大半の人は気づいてもそのゴミを無視する。

この、ゴミを拾える人が、リーダーシップがある人、なのである。

 

日本では「リーダーシップ」と「リーダー」が混在しやすいが、別物だ。

リーダーシップはリーダーだけのものでなく、全員が持つべきものだ。

半沢直樹が悪を成敗するリーダーだとしたら、リーダーシップはミニ半沢だと思う。

 

半沢直樹ほど、大それたことをする必要なんかない。

しかし、もし身の回りのおかしいところに気づいたら、ミニ半沢となってアクションを起こしてみた方がいい。

ゴミが溜まっていたら、家のゴミ出しを率先して行うということでもいいと思う。

 

日本人は、半沢直樹を待ち焦がれすぎてしまっているが、そんな偉大なリーダーは幻想だと思う。

今日本に必要なのは半沢直樹ではなく、社会の至る所でアクションできるミニ半沢なのだと思う。

 

 

 

 

 

最近、昔とは意識を変えて、つまり「自分のことを意識的に発信する」という形で、ソーシャルメディアを使っています。

 

今までは、思ったこと、共有したいことを、徒然にアップしていただけだったので。

そうではなく、アップする内容にある程度方向性が見えるように、意識しています。

 

やっぱり、そういう形でソーシャルメディアで発信していると、

見知らぬ誰かであれば気に留めませんが、

今まで友達としてソーシャルメディアを共有している人から、なんて思われるんだろう…

という恥ずかしさはあります。

 

また「アートとロジカルで自分を知って行動するプログラム」で起業すると言うのは、やっぱりどこか恥ずかしい。

 

という風に、自分がこれからやろうとしていることを発信するのにアクティブになれませんでしたが、

一回やってしまうと、ブロックが外れると言うことがわかりました。

 

グローバルで働く若手女性のためのコミュニティを始めたという発信したことも、そのうちの1つ。

https://ameblo.jp/zi-ai/entry-12628606027.html

 

 

やってみると、案外ポジティブな反応を得られるし、

反応がなくても、その人は特になんとも思っていないのだと思う。

 

発信することで応援してくれる人もいるわけだから、発信したほうがいいし、

恥ずかしさは薄れていくものです。

というか、「この人ってこれやってる人だよね」と、一度認識されれば

発信する側も、発信しやすくなるはずです。

 

一回やれば怖くない!

次は、私のプライベートアカウントで、身近な人たちにも発信していきます!

 

 

 

 

 

昨日、こんなお知らせをしました。

 

https://ameblo.jp/zi-ai/entry-12628606027.html

 

 

そこで、私の周りにいる「若手・女子・グローバル」というくくりで知り合いを思い浮かべてみたのですが、

思っていたより、とっても少ない!!

 

学生時代から海外に興味があったので

留学やら、途上国やら、学校の授業(授業は英語)で、いろいろ活動してきたので

周りにいる友達は海外に近い人たちばかりだったのですが、

 

実際に当時関わりがあった友人で、実際に海外で暮らしている人って本当に少ない!

びっくりしました。

 

学生時代に、海外に興味があってせっかくいろいろやってきたのに、

いざ社会人になってしまうと、みんな日本に閉じこもっちゃうのかなあ。少しショックでした。

 

それほど、日本の学生で

「海外で就職しよう」

「海外で働こう」

と思っている人がいないのか、いても

 

「出張でいいや」

「日本をベースにグローバルで働けばいい」

「海外に行きたいのに日本での暮らしから抜け出せない」

という人が多いのかな。

 

確かにシンガポールにいても、ビジネスの世界では

20代女性の私は、明らかに浮いている存在なのは間違いない。。。

 

 

 

今回はお知らせです。

 

グローバルで活躍する日本人の若手女性起業家、若手キャリアウーマンが繋がれるグループを作りました。

https://www.facebook.com/groups/340517180339812

 

 

 

このグループは

・海外起業・海外キャリアについての情報発信

・女性としての生き方についての情報発信

・海外の情報交換

・ネットワークング

などを目的としており、日本人の若手女性のグローバルでの活躍を後押ししていきます!

 

海外経験者の方もWelcomeです。

 

ご興味のある方は、ぜひご参加ください!

大学を卒業して、すぐ結婚した私は、一般的には早い方だと思う。

それまでは20代は結婚など二の次で、男には脇目を振らずバリバリ仕事すっぞ!って思ってたので、本当に人生って何があるかわからない。

 

とはいえ、結果的にある意味では男には脇目を振らずバリバリ仕事することになったのであるが…笑

 

結婚して幸せになったかというと、実はよくわからない。

やはり、得るものもあるし、失うものもあると思う。

ただ、ああ、私って結婚してても自分のままででいていいんだって認められたのが4年以上経ったつい最近の出来事であったことは間違いない。

 

なぜなら、今の今まで、「結婚」という言葉だけにまとわりつく社会的な価値観によって、自分を見失っていたからだ。

 

「結婚」という言葉は強力である。

結婚という言葉によって、その人の行動に影響を与える。

結婚しているからこれをやらなければならない、結婚しているからこれをしてはいけない、という誰からも言われないけど、なぜか結婚すると勝手にマインドセットされることがたくさんある。

 

私もそうだった。

結婚しているから、旦那が良いと思うことをやったほうがいい

結婚しているから、このタイトスカートは履かないほうがいい

結婚しているから、大人しくしておいたほうがいい

などなど、キリがない。

 

そんな感じで、「結婚しているルール」を勝手に守って過ごしてしまった私は

シンガポールに来て、自己崩壊してしまった。

なぜなら、結婚してても、自分を生きている女性がここにはいたからである。

 

私が「結婚しているルール」と思ってきたものってなんだったんだろう

実はなんでもなかった。そんなの存在しているものではなかった。

自分が勝手に、社会的な価値観から推測して、勝手に作ってしまって、勝手に自分を縛ってしまっていたものだった。

 

それを理解した瞬間、

社会的に作られた「結婚している私」を演じていた、今までの自分ってなんだったんだろうと思ったし

自分が居心地が悪かった「結婚」というものをゼロリセットできた気がした。

 

と同時に、本当の自分ってどこだろう、とも思った。

ある意味、社会的に作られた「結婚している私」を演じている方が楽なこともあった。

だって、こうすべきっていうのがあるから。

 

でも、それがなくなって、自分で自分を見つける

つまり、結婚してても、結婚してなくても、これが自分か、と思えるような自分を見つけなければならないと思った。

 

まだまだ、自分を見つけている最中ではあるのだが、

少なくとも、結婚してようが、してまいが、自分は自分なのである。