今日の朝刊を見ると、エネ政策福島聴取会の様子が報道されている。2030年時点での原発比率を0%までにするという案に70%の人が意見表明を希望したとの事。いずれにしても多くの人々が脱原発を目指している。

この報道を見れば暗澹たる気持ちになる。彼らは真面目に考えているのだろうから余計に気持ちが重くなる。


事故で原発コストは安くない、命あっての経済だ、グリーンエネルギーを柱にするのが日本の責務、福島の子ども達は被曝し続けている、使用済み核燃料の処理方法が示されていないとかが理由だ。


だが、原発に変わる具体的な問題克服策は誰も出せない。先ず脱原発なのだ。”原発さえなければなんでもいい”の、無責任な言いっぱなしの意見である。だから勿論採用されないはず。採用されてはたまらない。


しかしどうしてこうも多くの人々が無責任な原発比率0%に賛成するのか?

日本の活力・子供の将来を奪い、自らを葬ってしまうことを平気で言う人がこんなにも多くいるのだ。


それで私は思った。何かこれに似たようなことがあったのじゃないかなと。

そう、一億総懺悔と言う言葉。戦後言われた言葉で、戦争の責任を全国民が背負い懺悔をすると言うもの。真実をよく知らないが、結果日本国憲法に第9条として戦争放棄という形で現れた。アメリカがおしつけた憲法なのだが、日本人はこれを受け入れ、いまだに9条は生きている。


常識で考えれば自国の防衛を放棄する、ばかな事を憲法に書かない。良く例えに出される、自分の家族を守るためには、殺人も認められる。それほど自分の身内は大事だし、日本国も同じだ。自分の国は自分で守るのが常識。そのような当たり前を、だれかがごり押しし、それを国民は受け止めた。懺悔の気持ちで。


当っていないかもしれないが、反省を態度で表わすため、自虐的な事を日本人はよくやる。


今回の脱原発もそれとよく似ている。脱原発は、福島事故を起した日本人の義務であると思っているのではないか?懺悔の気持ちで、自分達の生活を考えずに、物にでも憑かれたように。


もっと地に付いた議論をしないと、日本は壊れる。

安易に0%と、一度決めてしまえば、元に戻すのにその何倍ものエネルギーが必要になるのだ。いかに憲法改正が大変な国家事業であるか、を考えればすぐ分かること。

だから、選択肢の多いフリーなのが一番いい。足かせを次世代に継ぐ必要がどこにあろうか。