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ZF_phantom

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民主党の小西議員が変なことを書いていたので、反論してみる。

小西議員は憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」を根拠に、戦争(正確には自衛のための武力行使)である集団的自衛権は違憲だ、と言いたいのだろう。凶悪犯であっても殺してはいけない、と同じ論理。

しかし、憲法前文のさらに後ろには「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」という文言もある。

集団的自衛権を行使するな、というのは、友好国が侵略されていても手出し無用、ということだ。しかし、それでは「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」に反してしまう。現在進行形で侵略が行われ、人々が殺されている状況で、「話し合い」とか「非難声明」は無力だ。

凶悪犯が暴れている現場に駆け付けた警察官が犯人を制圧(これも一種の暴力で、場合によっては射殺もする)するのが正当な行為であるのと同様に、侵略されつつある友好国に駆け付けて侵略軍に対して一緒に反撃する、ということの正当性をなぜ理解できないのか。暴力の現場では暴力でしか対抗できない。

凶悪犯が暴れている現場なら犯人は声が届く距離にいるが、侵略の場合は命令で動いている軍人や、飛んで来るミサイルに説得は不可能。国家間での停戦の圧力はかけるにしても、並行して現場での応戦が一刻も早く必要。そうでなければ侵略が進行してしまう。そして、そのような体制が侵略を抑止する。

侵略してきたらみんなで反撃するから攻めて来るなよ、という体制を築くことこそが憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」の実現に近づく。つまり小西議員の解釈とは真逆の結論になる。抑止力を理解できるかどうかの差。