他の所で、一連の今西錦司の不評を書いてきました。狭い仲間内でけです。結局、いろいろ考え、こちらに移す事にしました。

 

上位にランクするなどあり得ない内容です。この11は、一番新しく書いたもので、私の基本思想、立場、哲学を書いております。具体論が少なく、まあ、読みにくいものです。今西に上手くひっかけられない、そう言う物ですが、基本今西の世界です。ここで書いておりますのは。

 

  生物のポテンシャル

 

  これを、書いております。

 

  どのような種も、その上位の科や目や綱や門、これらはすべて生物の能力、潜在能力は同じ。これだけの事ですが、それを、構造主義や、方法論的全体主義(⇔方法論的個人主義)や、遺伝学(の一部)、等から論じて行きます。

 

  ポテンシャル、生物の能力がすべての種、属、科、目、門、綱、門、界で、すべて、同じと言う、ものです。これが、進化の原理(基本原理)、多分、今西が見落としていた。いや実際には、今西はこの立場でした。この今西との関係はまた別のところで論じます。

 

  10の前半と一緒に書いたものです。二つに分割し、遅くなりました。
重なりがあり、省きましたが、残っています。話のつながりで、お許しください。

 

  今回の話は、このハチの進化において、単独生活をするハチ、例えば狩人バチから、巣を創り共同生活するあしながバチの様なものまで、各種の共同生活の形態が段階的に進む多様なハチが森林や原野に見られる。そう言う論じられている事の意味、背後の世界を見てみます。アリは、共同生活者しか残らなかった。この両者は対照的です。

 

  ハチの進化です。以下、少し展開と言いますが、背景を探ります。

 

  ここから論じる事は、今西の世界からずれています。これも、広い意味での今西の世界なのですが。

 

  生物は、基本同じ能力を持ち、同じ潜在能力を持ちます。そんな事は無い、人間とアメーバ、細菌はその能力において非常な桁違いの能力がある。そうでしょうか、人間は光合成を出来るのか、出来はしません。将来はともかく、いま植物が死に絶えれば、恐竜が隕石衝突で植物が絶滅状態に落ちった時、絶滅したように人類は絶滅します。絶滅するしかありません。硫黄をエネルギーとする生物もいますが。

 

  何を述べているかと言いますと、基本的な遺伝子、この構成、それは、植物も細菌も動物も、皆、基本同じなのです。人間に葉緑体の遺伝子は無い。確かにそうですが、葉緑体に由来する、もしくは葉緑体と共通の祖先の遺伝子を人間は、そして、当然、動物も持っております。

 

  こう言う基本遺伝子は、10数個11個か13個でしたか、あり、1個を除く他のすべては、細菌の時代に獲得された、受け売りですが。その付加、変異で我々のような存在が生まれたにすぎません。

 

  進化、どこが進化、細菌も、植物も、動物も、菌類も、基本能力は皆同じです。変わりはしません。遺伝子重複による、変異による複雑化はありますが。

 

  今西が潜在的に考えている様に、生物は同等であり同じ能力を持ち、その違いは、単に、その発揮される方向が違うにしかすぎません。棲み分けの背景の原理はすべての生物の能力は同じ、これです。こう言う思想、哲学を今西が持つから、棲み分けに気づいた。言い過ぎですが、今西が中心原理とした背景の思想です。

 

                   . 
注 生命のポテンシャルの強調 

 

  当り前のようですが、生命の同等性は、淘汰の前に来る大原理です。

 

1.集団による遺伝子のプール、

  これは、第二の原理であり、種を生む源であり、進化の経路を決める基本ですが、あくまで事後的です。それに対し、

 

2.生物の同等性

  10数個の基本遺伝子からなる生物、その潜在ポテンシャルは皆、同じです。こちらが、生命の基礎です。まあ、当たり前ですが、淘汰を強調すると、これが見えなくなります。

 

3.淘汰

  同等な生命を規定する外部要因です。が、しかし、重要性は薄い。この説明は、もっと別の原理を必要とします。事後的ですし、

 

以上、3題話、です。体系性も何もない。いずれ構造をお示しします。

 

生命のポテンシャル、これこそが進化の原動力です。淘汰ではない、今西がなぜ淘汰に反発し、重要性を否定したのか、当然です。しかし、今西は、この初歩を少なくとも強調しなかった。

 

注 強調  終わります。

 

                .
  この生物の潜在能力が同じ、これは、今西は自覚していたのか、していなかったのか、解りませんが、棲み分け、食う、食われるも棲み分け、ですから、生物は皆同じ能力を持つ。これは今西が少なくとも、無自覚にしろ、いや多分自覚し、今西が持っていた生物に対する見方の大原則なのでしょう。

 

  または、あまりに当たり前すぎて、自覚できず、主張の必要さえ感じなかった。そう言う物でしょうか。多分。これを書く前は、生物の同等性、生物のポテンシャル、これは自分で見出した原理と考えておりましたが、書いているうちに、今西の根本原理でもある、偉そうな書き方ですが。

 

  進化の歴史を見れば、生物の能力は同じではなく淘汰されて来た。そういう主張もあり得ますが、多くは誤解です。なぜ誤解かは、進化とは何かをきちんと説明しなければなりませんが。しかし、例を挙げれば、進化の原理が無くても分かる事です。

 

  例えば、魚類は硬骨魚と軟骨魚に大別されます。あの恐ろしいサメは軟骨魚類で、硬骨魚類より劣る。こう主張されますが、サメは、その仲間エイも、捕食や体の大きさで、魚類の頂点に立つ魚です。最大の魚はごぞんじの、ジンベイザメです。最大の肉食の魚もサメの仲間です。でしょう。

 

  巨大なだけだ。そうでしょうか、サメのほとんどは、胎生、卵胎生、子供をお腹に宿して卵でなく子供、卵で産むのではなく、完全なサメの形として生むか、大きな卵を海藻に巻き付けて生む。数千個、いや場合により数億個生む硬骨魚類、例えばマンボウ3億個とどちらが進化しているのでしょうか。マンボウが劣ると言う訳ではありません。マンボウも誤解されています。

 

  この様に、陸生の動物、哺乳類は胎生だから進化した生物だ。こう教えられました。しかし、この基準で言えば、子供を生む、卵ではなくと言う点だけでも、軟骨魚類、サメ、エイも魚類では最も進化した生物です。

 

  いや違う、例えば、サメやエイは、浮袋を持たない。サメやエイは確かに浮袋を持ちません。そして、この浮袋は、昔、魚類が水でなく空気を呼吸していた時、それに使われた器官(腸のある部分)の名残で、完全な水生に戻った時、その呼吸器官が浮袋に変わった。らしい。そして、それを持たないサメやエイは劣った魚類だ。

 

  そうでしょうか。また余分ですが、浮袋は空気の呼吸器だった、なんだ、魚は、一度、空気呼吸していたのか、これを知った時には驚きました。陸と水の境界にいた魚が、空気を呼吸して生き延び、海に戻ったのが今の魚類の祖先なのか、エッー。

 

  軟骨魚類はこういう生活を経ないで今に至った魚類です。多分。違いは、単なる過去の生活の違いにしか過ぎません。要は、ただ、軟骨魚類と硬骨魚類は、この様に系統が異なるにすぎなのでしょう。

 

  では、浮袋よりもっと遥かに重要な、硬い骨を持たない軟骨魚類は、劣っているのか、軟骨魚類は、原始的なのか。原始的とされていますが、実際はそうではありません。

 

  なぜこう言える、そう言われそうです。確かに。が、しかし、それは、軟骨魚類も、昔は、骨を持っていた、硬い骨を持っていた、こう言う事実があります。その硬い骨が、その語、次第に軟骨に置き換わって行ったのです。進化の結果、サメやエイの骨は、完全な軟骨に変わってしまった。これは、サメの様な軟骨魚類の方が硬骨魚類より、進化している、そう言う事になります。なぜ、軟骨魚類を劣った魚とするのか、一貫性がありません。

 

  また、読んだ本には、この軟骨に置き換わった、その理由が書いてありませんでした。推察は書かない、まあそんな事は無いでしょう。

 

  何れにしろ、軟骨、硬骨は、進化の基準にはなり得ません。単に枝分かれしたに過ぎないのです。

 

  まあ、ついでに、理由を考えて見ますと、浮袋を持たない代わりに、サメやエイは、油を使って浮力を調整するようです。すると、空気と違い、硬い骨を持つと、大きな油の塊がいる、必要です。重いカルシュウムを減らしたい。その結果です、でしょうか。軟骨魚類だけでなく、魚類は、重いカルシュウムを減らす方向に進化しました。骨を削った、そんな事は無い。確かに。

 

  しかし、昔は多くの魚類は、顔の表面が骨で出来ていました。生物の好きな、子供は知っています。魚の多くがそういう種類だった。しかし、顔を覆った骨は次第に消失して行った。淘汰されたのか。

 

  重いものは行動の妨げになる。だから、骨は邪魔なのです。無い方がいい。タコやイカも昔は硬い骨に覆われていました。しかし、行動が遅い。体を覆った骨、巻貝の様な骨は消えて行きました。

 

  貝、タコ、イカと同類の、軟体動物です。貝、それは、タコやイカが捨て去った、昔のままの殻をかぶった軟体動物です。では、貝は、劣った軟体動物か。そうではありません。その理屈はまあ、生命のポテンシャルは同等を考えれば、当然ですが、後でもっと具体的に、準備の整った後、また書きます。

 

  そもそも、今も貝は大量に生きています。劣った生物が大量に生きている。でも、タコやイカと違い、進化に遅れた生物だ。

 

  少量しか生きれないそういう形態に変わった、タコやイカは進化で遅れて行った、そういう風に言えます。どのようにでも、理屈を付けられる、進化とは、淘汰とはそう言う物です。それにしか過ぎない。

 

 

注  意義

  世界観として、構造主義がそれまでの野蛮人を否定した、それと同じなのです。生命の世界に、優劣を付ける、その否定です。その方が、生命を見やすくなります。

 

  まあ、言えば、人間の方が、細胞より優れている、タンパクや遺伝子より細胞が優れている、タンパクは炭素や窒素より優れている。素粒子より、原子や分子が優れている。

 

  こう考えていただければ、今西が何を考えていたか、像が見えてきます。まあ、私の生命像でもあります。そして、歴史や社会や経済に対する見方でもあります。

 

  方法論的全体主義は、すべてに差を設けない。そう言う物です。方法論的個人主義は、人がすべて、ホンマかいな、私はそう思います。考える人は偉い、そんな馬鹿な、存在が尊い、方法論的全体主義の基盤です。

 

意義、終わり

 

 

  では、どういう基準で進化と言うのか、進化を定義するのか。大量に生きている、また貝類の分化は多岐に及ぶのに種類もいるのに、劣るとは変ではないか。そういう話です。海の生物はこうです。では陸はどうでしょうか。

 

  苔、シダ、針葉樹(裸子植物)、広葉樹(被子植物)、種類が違い進化の順番とされます。しかし、コケが下等だから死滅したのか。火山島など養分の少ない場所にまず生えるのは、最初の侵入者はコケです。生命力が非常に強い植物です。そして、次に下等なのはシダです。そう教えられました。シダは小さい。しかし、シダは今も南方では巨大です。

 

  一方、北方の雄は針葉樹です。花の咲く植物、被子植物は進化したと言えるのでしょうか。コケや針葉樹で考えれば、どうも違います。

 

  さらに、また、南方の島、森の樹種、1㎞四方(100m四方?)に同じ種類の木は無い。のです。淘汰、それなら同じ種類の木が一定地域を占めるはずです。なぜ、そうならないのでしょうか。当然なるハズです。それが、1㎞2に同じ種類の木は1本も無いのです。

 

  以上から考えて、生物の生存する能力に差はない、こう言える、でしょう。南方では植物の淘汰原理がほとんど働いていない。様です。

 

  海の脊椎動物、軟骨魚類と硬骨魚類を論じました。軟体動物もついでに少し。軟骨、硬骨、魚類の2大分岐です。では、陸性の脊椎動物では、恐竜と哺乳類、どちらが高等か。

 

  解って来たことは、どうも恐竜の方が相当、高等である。大脳の大きさでは、実質3倍に及びます。後で説明しますが、よく知られた事実でしょう。NHKでやっていました。鳥類の神経細胞の密度は哺乳類の3倍。頭と体の比率は鳥類と哺乳類ではほぼ同じですから、3倍鳥類が進化している。恐竜の脳は小さい、しかし、3倍の密度、これに対する考慮がありません。

 

  以上の様に、淘汰では、これらは、説明がつきません。この説明は、順次やって行きます。

 

  先ほどの、基本遺伝子を思い出してください。優劣がある、ではなぜ基本遺伝子は同じなのか。大量に卵を産み、そのほとんどが死ぬ生物。それは、その生物が劣っていて、大量に死ぬから、多くの卵を産むしか生き残れない。この劣った生物、硬骨魚類が進化しているのか。そういう話です。ここに進化論(分岐分類学も含み)のおかしな点があります。もちろん、大量に死ぬから劣っているとは言えませんが、この卵の量は、後でもう一度出てきます。進化に関係する重要な概念になります。

 

  これは、この卵の量に最初に注目し、大量に卵を産むα戦略、少数を大事に育てるβ戦略、いやa戦略、b戦略として、社会生物学のウィルソンが述べている事です。この淘汰万能で学問を形成したウィルソンの主張です。この社会「生物学」を生み出したウィルソンは優劣を述べていません。

 

  ハチの進化どこかに行ってしまいましました。今西の議論は、面白いのですが、やめておきます。繰り返してもしょうがありません。

 

  ハチの進化、古い者、単独生活者の狩りバチも、今も、何億年も生きています。進化論では、淘汰説では、こう言う事は原理的に解けません。もちろんニッチとか逃げ道はあります。しかし、生物は1000万種、2000万種、これを自然淘汰で説明できるのでしょうか。淘汰は、脇役でしかない。生物の多様性の説明が出来ないのです。

 

  生物は同等の潜在能力を持つ、こう考えなければ説明がつきません。棲み分けの背後の原理を書きました。

 

  長くなりましたので、前半は10に分割し、この11は後半です。

 

  よく知られている、恐竜の進化の程度と、哺乳類の比較、これも書く必要があるのでしょうか、まあ、これとは別の原理と絡ませて論じます。だいぶ先でしょう。まあ、よく知られ、すべての生物の能力の話で、大した話ではありませんが、恐竜の方が遥かに上。その他、そして、スケーリングの話に及ぶ予定です。


  ここで説明いたしました原理、生物の生存能力、ポテンシャルの同等性、生物は皆同じ、これをスケーリングから見て見ます。スケーリングの前に、別の原理が先ですが。

 

 

ジンベエザメの体ってなんであんなに大きいの?
こんにちは、ジンベエさん
https://jimbee.jp/archives/1039

アウトドア、テキストの画像のようです
https://www.cnn.co.jp/fringe/35139879.html
釣り針の刺さったマンタ、ダイバーに助け求める
 豪州沖で撮影

映像は短く面白くありませんが、サイトを見れば、経緯が解ります(映像を引っ張って来る方法が解らない)。マンタ、人に助けを求める、賢い。驚きました。人はどういう生き物か、手の役割は何か、マンタは解っているのです。人を解っている、そうか、その理解力、驚異。