田中好子さんが亡くなって考えてみた。

私は、お世話になった人や感謝している人が亡くなったらどうするだろうかと。(私は未だそのような経験をしていない幸せな境遇にある)

私は、その方がどんな信仰を持っていようとどんな形式の葬儀であろうと、その棺の前に立ち、故人を見、深く頭を下げたいと思う。

それは100%深い恩義や感謝の念から出るものであって、決して故人を崇拝する気持ちがあるからでも、死後の世界を信じているからでもない。そのような信仰は1%も持っていない。

しかし、それでも多くのJWの目には不義に映り、つまずかれ、戒められる可能性が高い。

しかし私には確信がある。例え組織から非難され処分を受けたとしても、神からは「良いことをしたね。あなたの気持ちはわかっているよ」と言ってもらえると。

私は、外見しか見えない組織ではなく、心をみる神を崇拝している。