「青山さん、いま探しに行こうと思っていたんです」(2021-11-14 04:51:48) | ZETA-WEB電脳市場

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きのう9月17日火曜は、朝から昼の直前まで、秘書さんたちと一緒に、その前進を続けるためのいわば「参加権」を確保しておくことに精一杯の努力をしました。

(青山繁晴の道すがらエッセイ)




▼きのう11月13日の土曜、国会の近くで、「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」が開かれました。
 写真は、横田めぐみさんのお母さまにして、日本の慈母と言うべき横田早紀江さんが、お話しをされています。
 写真ではごくごく小さくにしか見えていませんが、岸田総理が壇上にいらっしゃるのでSPが警護しています。 ( 総理はその後、途中退席されました )
 ぼくの席の周りは、与野党の国会議員です。

 来るはずの議員の姿がなかったりしましたが、800人参加の会場で2時間10分ほど、同じ席から動くことができませんでしたから、ぼくの眼に入らなかっただけかも知れません。来られると思っていた総理経験者も、最後まで姿が見えませんでした。このかたは、来られていれば必ず紹介されますから、いらっしゃらなかったのでしょう。

 国会議員の数そのものは、多いとは言えませんが、減っているということはなかったです。
 地方議員のかたがたが多く、熱心に来てくださっているのを、心強く思いました。

 それから、拉致被害者、特定失踪者のために長年、戦っている、ぼくの信頼する人物の姿がありませんでした。
 これも、ぼくに分からなかっただけで来られていたかも知れません。ただ、この日本男子が政府と国会への怒りを強めておられるのをよく存じあげているので、あえて来られなかったのかも知れないと考えました。

 あまりにも辛い集会でした。

 国会議員となってから、楽しい日は一日たりとも無くなりました。国会議員は、民の苦しみを背負うのが任務だと理解していますから、それは自然のことです。
 しかし、きのうほど辛い日というのは、ありません。拉致事件をめぐる行事のある日ほど、満身に痛みの走る日は、ありません。

 早紀江さんは「めぐみは ( 北朝鮮の工作員に拉致され日本海の工作船に連れ込まれてから ) あまりに泣き叫ぶので、船底に入れられ、真っ暗ななかで長時間、嘔吐し、爪がすべて剥がれそうになるまで壁をかきむしって指と手が血だらけになったそうです」と語られました。
 これは脱北者の証言などから分かってきた事実です。
 ぼくもインテリジェンスから、ほぼ同じ事実を聴いています。
 めぐみさんが、いつもの日常のはずの学校帰りに自宅まえで拉致されたのは、実に44年も前の11月15日です。きのうの集会の2日前です。



▼午後2時に始まった会が、午後4時をすこし過ぎてから終わり、いつも神戸の独立講演会に来てくださる有本明弘さん ( 拉致被害者の有本恵子さんのお父さま ) 、そして横田早紀江さんと、それぞれお話をしました。

 有本さんは「松野官房長官が神戸の自宅に来てくれることになった」と、すこし嬉しそうに話されました。
 お嬢さん、ぼくと神戸の幼稚園が同じの有本恵子さんと、すべての拉致被害者のために全身全霊で果敢に戦う姿勢が90歳を超えてなお、まったく変わりません。

 早紀江さんは沢山の人に囲まれていました。
 話すのを遠慮しようと思いましたが、早紀江さんのほうから「青山さん、いま探しに行こうと思っていたんです」と仰ってくださったので、すこしだけ話すことができました。
 そして「青山さん、あんまり無理をし過ぎないでね」と仰いました。
 壇上で「めぐみを13歳までしか育てられなかったことが悲しい」と話され、「めぐみをあんなに可愛がってくれたお父さんが、ちいさな箱に入ってしまって・・・」と話された早紀江さんが、ぼくの身体まで気遣ってくださるのです。
 この慈母に、めぐみさんをどうしても帰さねばなりません。

 きのうは午後5時まえに帰宅しました。
 正直、このブログに記すことが、どうしてもできませんでした。
 落ち込んでいる暇はありません。拉致被害者のご家族、特定失踪者のご家族と共に、動き続けねばなりません。
 しかし、ブログには記す気にはなれませんでした。
 それでも、主権者・国民の多くが、どれほど、拉致被害者、特定失踪者とそのご家族の苦しみを我がこととして共有してくださっているか、それをふだん、ありありと感じています。
 きのうの会場を、感染症対策をとりつつも埋めてくださったみなさんの熱気にも、あらためてそれを思いました。
 広い国民との連帯なくして、救出もできません。
 おのれの気持ちなどに囚われている場合ではありませんから、今朝、こうやって記しています。