最近、わたしは信仰の音楽を聴いていました。
ルネサンスからバロック音楽への移行期は、純正律から十二平均律に調律法が移行期であったりもしたそうです。純正律こそ正しい調律とされてた時代に十二平均律を推していた人が、"悪魔の調律"として教会で裁判にかけられて死刑になったということもあったくらいの時代だそうです。そのぐらい音楽が純粋に聖的でなければならなかったのですね。
ルネサンスからバロック音楽への移行期は、純正律から十二平均律に調律法が移行期であったりもしたそうです。純正律こそ正しい調律とされてた時代に十二平均律を推していた人が、"悪魔の調律"として教会で裁判にかけられて死刑になったということもあったくらいの時代だそうです。そのぐらい音楽が純粋に聖的でなければならなかったのですね。
今もなお、リチュアルの中で音楽は大切な役割を担っていますし、信仰とは切っても切り離せないものであったらしいと本で読みました。
わたしは信仰と音楽の関係を知りたいと考えていましたし、また、自分自身、音楽のもつ緊張と緩和の反復により感情が酔い、脳内のエクスタシィを呼び起こす事にアディクションすることがしばしばなので、信仰の音楽であれば、いわゆる"悪魔的"な刺激が少ないのでは?ということはアディクションしづらいのでは?と考えて、ここ最近、ルネサンスやバロック期のミサ曲を聴くようになりました。
大昔の教会は、今でいうクラブのように、若者文化の拠点であったようで、教会が公に認めたミサ曲というのは、初期グレゴリオ聖歌以外はほとんどなく、むしろ規制がかけられるぐらい、いわゆる"悪魔的な"要素が多いものも見られたとの事です。今聞けば楽器もクラシックなものを使っていますし、そこまで刺激は強くないですが、美しさのエクスタシィでの感情の酔いはないとは言い切れないものでした。
そこへ来て、現代の最前線のヒップホップアーティストが信仰に目覚め、"ラップは悪魔の音楽だからやらない"などと言い出し、興味津々でした。
確かにF***などの言葉を連呼するのが常套句になっていますし、信仰とはわかりやすく対極に位置する音楽であることはまさにだと思いますが、そのジャンルの最前線の実力のある、成功したミュージシャンが果たしてどうやって信仰心と自分のやる音楽を両立させるのか、どんなものなのか?という興味です。
「jesus is king」を興味本位で聴き始めましたが、圧巻。
こんなの聴いたことない。新しいゴスペル、でありながら、ブラックミュージックとしては良曲。
普段音楽を消費しすぎて、そんなことあまりなくなってきましたが、久しぶりに感動して音楽を聴いて鳥肌が立ちました。
肝心の、脳内エクスタシィについては、今までの音体験の中では味わったことのない気持ちよさで、脳内というよりハートにくる気持ちよさで正直驚きました。
カニエ・ウエストがインタビューで、"ラップは、セックスのチャクラを刺激する"と言っていたそうですが、今回ゴスペルに移行することにより、悪魔的な要素を取り除き、彼が持っている音楽の技術で、もしや違うチャクラを刺激する音楽を開発したんじゃ?と邪推してしまうほど、気持ちよかったです。
今年はわたしにとってミサ曲、信仰の音楽と出会った年でしたが、そんな時にカニエ・ウエストがゴスペルをやってくれるとは、タイミングがよくて運が良いな、と思いました。
jesus is king の映画も上映されるとか。
信仰に傾倒しすぎて、宗教団体を作るとかいうニュースも流れていますが、どうなるんでしょうか。妄信しすぎに注意してもらいたい気もしますが、まず、わたし自身が"カニエアディクト"にならぬように気を付けたいと思います。
わたしは信仰と音楽の関係を知りたいと考えていましたし、また、自分自身、音楽のもつ緊張と緩和の反復により感情が酔い、脳内のエクスタシィを呼び起こす事にアディクションすることがしばしばなので、信仰の音楽であれば、いわゆる"悪魔的"な刺激が少ないのでは?ということはアディクションしづらいのでは?と考えて、ここ最近、ルネサンスやバロック期のミサ曲を聴くようになりました。
大昔の教会は、今でいうクラブのように、若者文化の拠点であったようで、教会が公に認めたミサ曲というのは、初期グレゴリオ聖歌以外はほとんどなく、むしろ規制がかけられるぐらい、いわゆる"悪魔的な"要素が多いものも見られたとの事です。今聞けば楽器もクラシックなものを使っていますし、そこまで刺激は強くないですが、美しさのエクスタシィでの感情の酔いはないとは言い切れないものでした。
そこへ来て、現代の最前線のヒップホップアーティストが信仰に目覚め、"ラップは悪魔の音楽だからやらない"などと言い出し、興味津々でした。
確かにF***などの言葉を連呼するのが常套句になっていますし、信仰とはわかりやすく対極に位置する音楽であることはまさにだと思いますが、そのジャンルの最前線の実力のある、成功したミュージシャンが果たしてどうやって信仰心と自分のやる音楽を両立させるのか、どんなものなのか?という興味です。
「jesus is king」を興味本位で聴き始めましたが、圧巻。
こんなの聴いたことない。新しいゴスペル、でありながら、ブラックミュージックとしては良曲。
普段音楽を消費しすぎて、そんなことあまりなくなってきましたが、久しぶりに感動して音楽を聴いて鳥肌が立ちました。
肝心の、脳内エクスタシィについては、今までの音体験の中では味わったことのない気持ちよさで、脳内というよりハートにくる気持ちよさで正直驚きました。
カニエ・ウエストがインタビューで、"ラップは、セックスのチャクラを刺激する"と言っていたそうですが、今回ゴスペルに移行することにより、悪魔的な要素を取り除き、彼が持っている音楽の技術で、もしや違うチャクラを刺激する音楽を開発したんじゃ?と邪推してしまうほど、気持ちよかったです。
今年はわたしにとってミサ曲、信仰の音楽と出会った年でしたが、そんな時にカニエ・ウエストがゴスペルをやってくれるとは、タイミングがよくて運が良いな、と思いました。
jesus is king の映画も上映されるとか。
信仰に傾倒しすぎて、宗教団体を作るとかいうニュースも流れていますが、どうなるんでしょうか。妄信しすぎに注意してもらいたい気もしますが、まず、わたし自身が"カニエアディクト"にならぬように気を付けたいと思います。