虎ノ門で打ち合わせの帰り
お昼ご飯を食べてなかったので
何か手軽に食べられる店を探す。
何がいいかな? あったかい物が食べたいな。
ふと路地裏を覗くと、中華屋らしき看板。
黄色のパトランプがクルクル回っている。
店前には手書きのメニューが張り出されていて
店内には3人ほどのサラリーマン客。
僕はロンT姿で少し場違いな姿だったが
ふらりと入ってみることにした。
最近、流行ってる「街中華」ってやつだ。
店に足を踏み入れると
厨房で白衣の親父がひとり。
「いいですか?」と声を掛けたけど
何も言わない。こちらがいることは
わかっているはずなのに。
もう一度「まだ入れますか?」と
今度はちょっと大きめの声を掛けた。
店内の客が、チラリと僕を見たような気がした。
なるほど、ここは、そういう声掛けは不要な
店なのだろう。余所者は土地の流儀に従わねば。
2人用のテーブルが二つ並んだ席の一つに
腰を下ろして、隣の椅子にカバンを置いた。
そこへ他のテーブルを片付けにきた親父が
「カバンは前に置いて」とぶっきらぼうにいう。
素直に従ってカバンを移動すると
「これから相席になるかもしれないからさ。
この辺この時間は、ここしかやってねーんだから」
小さく「はい」と、頷いたが
「恐れ入ります」のひと言ぐらい
あってもいいのでは?と思った。
一応、こっちは客なんだから。
多分、敬語の使えない頑固親父なのだろう。
入り口の手書きメニューを見て
もやしラーメンと半チャーハン980円に
しようと思っていたのだが
親父はなかなかお冷を持ってこないし
オーダーも取りに来ない。
ここは、お水はセルフなのかな?
と思っていながら、あらためて大人しく
テーブルのメニューを眺めていたのは
その間、親父が厨房で忙しく
鍋を振っていたからだ。
「(注文)言ってくんなきゃわかんないから」
そう言われた瞬間、もやしラーメンを
普通のラーメンに変更することにした。
ようやくお冷が出てきた。
ひとり、ふたりと客が減り
やがて店内は僕一人になった。
あちこちのテーブルに食べ終えた丼とコップ。
途中、サラリーマン風の男女が入ってきて
どこに座ろうかと席を探していたのだが
片付けられたテーブルがなく
親父も案内しないものだから
バツが悪そうに出ていってしまった。
ようやくラーメンと半チャーハンがきた。
味は普通だ。むしろ親父の対応で
やや厳しくいえば、別に美味くもない。
減った腹を満たすぐらいなら
コンビニ弁当の方が安くて美味いかな。
そんな事を考えていたら
黒い割烹着の親父が入ってきた。
どうやら、この店のもうひとりの親父らしい。
カウンターの内外で、白衣の親父と何やら
話をしている。
「ATMがさ…」「昨日の注文の…」
黒割烹着が何か話すたびに白衣が
「ああ、そうですか」「そうなんですね」
と敬語で相槌を打っている。
黒割烹着の方が上司らしい。
ていうか、敬語使えるんじゃん。
やがて黒割烹着がどこかへ電話をかける。
「ああ、どうも。あのよう、明日よう
張り紙書いてくんねーかな。
そう、うん、張り紙。
閉店しますってさ」
閉店?
「そうそう、えっとな、あー、そうだな
長い間、営業してきましたが
4月30日で閉店させていただきます。
ありがとうございました」
同じ文面をもう一度繰り返して
黒割烹着は「あいよ、じゃあな」といって
電話を切った。そしてまた、カウンターの中で
何やら食材の整理を始めた。
白衣はガス台を清掃している。
食べ終わった僕は、口をつける気にならなかった
コップに水をひと口、口に含んで
相席にならなかったせきから
カバンをとって財布から
850円取り出した。
2枚あった500円玉は、
きれいな方を選んだ。
「ごちそうさま」
とギリギリカウンターに
聞こえるぐらいの声で言うと
黒割烹着が「ありがとうございます!」
と、大声で言う。
間髪入れず白衣ございましたが
「850円です」と続けた。
レジ横に850円置くと、僕は
「ちょうどです」と言う言葉を残して店を出た。
中から黒割烹着の「ありゃとやした!」という
ちょっと崩したような言葉が追いかけてきた。
離婚まで、あと2166日。