僕がまだ、この仕事をはじめたばかりで
一番の下っ端だったころ
M氏はイラストレーターだった。
本名は知らなくて、ペンネームで仕事していた。
仮にM氏としておこう。
彼は弟と、友人数人と一軒家に一緒に住んでいて
仕事の打ち合わせに伺うと
いつもリビングの後ろで
弟と友人たちがプレステに興じていて
こんな環境でよく仕事できるものだな
と関心していた。
彼も飄々としていて
イラストレーターの他になにやら
よくわからない仕事もしているらしい。
いつも金がなくて、服もいつも同じで
だけどそれを少しも恥じておらず
お酒は一切飲めないのに
音楽が好きだからと
夜な夜な西麻布のクラブに出かけて
朝までエビアンを飲みながら
フロアの隅に座ってるのが
好きだと言っていた。
そんな彼と最後に会ったのは25年ぐらい前。
彼がクラブで出会った女の子と突然
籍を入れたというので
仕事関係者のお祝いを持って
自宅に行ったのを覚えている。
そこに奥さんの姿は無くて
いつものように、弟と仲間たちが
プレステをやっていた。
聞けば、奥さんとは別に部屋を借りて
そこに住むことにしたらしい。
弟と仲間を追い出すのでは無く。
奥さんの顔が見れると思ったいた僕は
彼に、奥さんの写真はないの?と
聞くと、ないと言う。当時ケータイはあったけど
カメラ機能がついてるものなんて
ほんのちょっとしか出回ってなかったし
からはそもそもケータイを持っていなかった。
「写真は無いけど」といいながら
その場でサラサラと絵に描いたのは
さすがイラストレーターだが
彼の絵は味系だったので
なんとなく可愛い感じの
ひょろひょろとした女性を描いてくれた。
その絵はクラブの片隅で床に座って
ぼーっとしている女の子だ。
彼がいうに、クラブで一番
いたいけそうな娘だったので
声をかけみたらしい。
特に話すことはなかったが
2、3回顔を合わせた頃に
「一緒に住まない?」と言ったという。
彼女は「うん、いいよ」と言って
自分の部屋に連れて行ってくれたらしい。
M氏も彼女も波長が同じっぽかった。
彼女の部屋はクラブから程近い
西麻布の交差点近くで
大きなマンションの一室。
部屋の真ん中にグランドピアノがあって
音楽家かピアニストかと思ったら
「父のなの」と言ったそうだ。
その時は、お父様がピアニストか
音楽関係がの仕事か
あるいは趣味で弾いているのだろう
と思ってそれ以上聞かなかったそうだが
一緒に住み始めてすぐに
結婚しようとなり
「ご両親に挨拶を」となった。
やはり西麻布の近くに1人で住んでいた母親には
すぐに会って結婚の承諾を得ることができた。
父親とは複雑な理由で別々に住んでいると
わかったM氏は「お父さんにも挨拶をー」
と切り出すと、母娘は顔を見合わせて
「いまNYたわよね?」と。
会いに行くのは大変だな、電話でもいいのかな
などと考えていたら、母親が
「じゃ呼ぼうか」という。
娘の結婚の挨拶をしたいというM氏のために
NYから呼びつけるのは、ごく普通のこと
みたいな話に、M氏は、そういうものか
と、納得していたそうだ。
数日後「父が会ってくれるって」とのこと。
場所はパークハイアットのNYグリル。
「日本でもNYなんだ、どんだけNY好きなの」
とM氏が思っていたら
彼女の口から、昨日亡くなった
偉大な音楽家の名前が出た。
「坂本龍一、私のお父さんなの」
その後、NYグリルで無事挨拶。
「ごく普通のおじさんだったよ」
M氏はちっとも怯むことなかったそうだ。
僕から緊張しすぎて話なんかできないだろう。
「娘をよろしく。僕は不束者の父なので」
と最後にひと言言うと深々と頭を下げたと言う。
その後、M氏は変わらず弟や仲間たちの住む家と
西麻布の自宅を行き来しながら
創作活動と相変わらずの仕事をしていたらしいが
ある日突然姿を消した。
噂では奥さんになった彼女と一緒に
山に篭って暮らすことにしたらしい。
「もう、一生、金には困らないことになったよ」
半分冗談っぽく、そう言っていたひげずらの彼の
遠くを見るような目だけが
僕の記憶に残っている。
いま、彼がどこで何をしているか知らない。
SNSも、Google検索も
彼の名前を知らないのだ。
離婚まで、あと2187日。