5/5
退院してきたけど、まぁ痛い。
とてもじゃないけど電車でなんて帰ってこれなかったわ ...父さんありがとう


5/6
やはり、痛い。仕事は行かないことにした。へそに綿棒入れてみたら赤黄色的なのが出た!すごい出た!!!怖い!
へそが激痛っ!!
5日に、右脇の傷(ボンドで止めてない絆創膏のみの傷)に、買ってきた変なジェルパッドみたいな防水のシールを貼ってしまったのが間違いだった。
はがそうとして全身の力が抜けた。。。
上はごそっとかさぶたみたいのが取れちゃって傷の断面の側面見えちゃうし、
下はドロッと何か出てきたし。
ゾワワワワ!こわぁぁぁ!!
そのまま即戻した。

外来で先生にヘルプするしかない。


5/7
仕事に行ってみた。
相変わらず、へそが痛い。
一日中「へそ!」と空島風あいさつをしていた。

5/8
仕事に行ってみた。
へそが痛いなぁと思ってたら、なんか赤い塊が漏れでてた!!怖い!!!
そして痛い!

5/9
予約していた外来。
朝からへそが痛い。へそのまわりが硬くなってて、少し出っ張ってる。
へそ下の傷からはクリーム色の何かが少し出た。怖い。

病院に行こうと歩いていたら、道で、
へそのとこが
プチッとした感覚
からの
ドロッ、ぴゃーっとした感覚

で た な

服を引っ張って付かないように気を付けながら、服のしたにそっとティッシュを入れてみたら

うわー思ったより出てる~きもぃっっ!!


半べそで必死に病院へむかう。いたい。

診察室に呼ばれて、先生が「どう?」と言ったらもう「痛いですなんか出てきますへそからは赤いのがへそのしたからは黄色いのが横の傷は変なの貼っちゃって 」と私がガガッと喋ったので先生は途中で「見ようか」と遮りました。。。焦ってスイマセン。。。

何となく、何するかは予想ついてた、だからこそ見れないわけですよ!

「ちょっと痛いよー痛み止めねー」と注射され
先生の手元がカチャカチャ

ひぃぃぃぃ

「大丈夫?すごい痛いことしてるけど」とまた軽~くおっしゃるのですが
痛みは感じませんが感覚が凄いよー
切って、そして絞って、
結果、痛いよ!!!
私の顔はキラークイーン状態!

「へそ超痛いです」「へそ超痛いよねぇ」という謎のやり取りから、これめっちゃ膿んでると判明。へそ周りの固くなってた部分多分全部膿。ぉおーーこわ。

ガーゼだけポンと貼って、また明日来ることに。いたい。
痛み止めと抗生物質を出してもらう。

傷をシャワーで洗えとおっしゃる。怖い!

夜、へそ傷が再び膿の大噴火をなさって、私パニック。


5/10
起きたらまたもや膿の大噴火跡があり、再びパニック。なんなんもぉぉぉ

午前中外来に行くと、先生は見て
「うん、いいね、よくなる」と言いましたが...今朝も膿爆発ありましたぜ?

寝返り(横向きに寝る)と中全部痛いと伝えると半笑いで「大丈夫、うん、数値も術前より良いし」と先生おっしゃいましたが、何の数値だろうと後から疑問ですw

「手術の時にね、ヘソ掃除したんだよー、ごみが結構詰まっててね。それが余計だったかなー」とテヘペロな感じにおっしゃいましたので、自分でヘソに綿棒突っ込んだ事は内緒にしました。
てかヘソにごみが詰まってたとか超恥ずかしいんですけどぉぉぉぉ!!!
はぁ...

出張や仕事で心配な事を相談すると、やはり外傷が良くなってても中がくっつくのは時間がかかるから3ヵ月くらいは重いものを持ったりするような腹筋を使う事は避けるべきとのこと。
「重いもの持つ仕事?」と聞かれて
「重いものもつ出張なんです」と我ながら謎すぎる解答をしてしまったw

薬どう?からまた肝臓強いねーって「けっこう飲むの?w」と言われたのでノリでもう一回「いつからお酒飲んでいいですか」と聞いてみたら

「じゃぁー13日に見てみて良かったら14日からよしにしよっかー」と言うので
「えっ!(゚o゚;」と言ったら
「え、もっと早く飲みたい?」
違う違う早くてビックリしたんだよ!
Σ(゚д゚lll)

力仕事をする出張で酒飲むって
現場監督か何かかと思われてるかなwww


月曜日の外来を入れてもらって仕事へ。
出張中の先輩に報告メールで「ノンストップ膿!」と、伝説の少女漫画「ノンストップ亜美!」にかけてみたのですが、それが仇となりあまり心配してもらえないという罠!!!

5/4
朝からパンという驚き!

なんか美味しかった。お腹いっぱいで半分しか食べられなかったけど。

前夜は背中の痛み止めのおかげでそこそこ眠れたので日中は眠くなく。
看護師さんにシャワーしたいアピール。

先生来た時話して「どする?明日退院する?」って言うのでそうさせてもらうことに!(☆Д☆)

お昼

おかゆと魚。6割程度食べた。

シャワーもしてみた。お湯がかかっても痛くはない!お腹に力が入れられないので、トイレが難しい。。。挫折。

夜は

ポトフ。おかゆとふりかけというまさかのコンビネーション!

お腹をかばって座ってて背中の筋肉使ったせいか、背中が、痛くて痛くて。。。夜は眠れず。



5/5退院の日

この日もパン



痛くなったら追加できるようにと空っぽの痛み止めをぶら下げていたのですが、ついにお別れ。


先日ドレーン?をお腹から外した時、先生がまさかのバンソコぺったんして血がしたたった場所がまだちょっと液漏れしてたくらいで、他のとこはドライ。
ボンドみたいので留めてるらしく、これはペリペリと取れてくるらしい。


無事、退院しましたが、痛いには変わりなく...
ベッドがういーんって上がらないので、家は不便です。。。

痛いからすごく猫背になるし、
服が傷に当たると激痛だし、
背中の筋肉痛いし、
電車乗って会社行けるかな。。。
5/1入院。
10時半くらいに部屋に。2人部屋。
結局ねまきは病院のを借りたんだけど、ピンクのストライプ(男性はグリーン)の上下で普通だったので良かった。

事務の人が病棟の説明をしてくださり。
看護師さんが生活の説明等を。雛形あきこに似てて可愛い!
執刀医の先生が再度手術の説明を。
「麻酔効き難いんですがー」と言うと「マイケルジャクソンがしんじゃった麻薬で麻酔するから大丈夫、たいした事する手術じゃないから心配いらないよー」って軽い!www
サブ的な先生が部屋に来て点滴の針を刺して、採血をしていかれまして。



続いて気弱~な雰囲気の麻酔科の先生。若干不安。。。
手術室の看護師さんは「手術室の音楽何が言い?」というので、「え、選べるんですか!?激しめのが好きなんですけど!」と言うと「激しいのはなぁ...ゆずとかしか...」無いのかよ!
続いて薬剤師さんが来て、入れ替わりたち代わりなかなか忙しい初日。

下剤を、液体、錠剤、座薬とやらなくてはならないんでしたが。液体のだけで効き目グンバツで。。。
錠剤と座薬は免除!∠( ゚д゚)/

お昼ご飯は液体食。



夜は絶食。そこそこ眠れた。


5/2手術日。
2件目の手術だというのでのんびりしてたら看護師さんがバタバタとやってきて時間ないので着替えてくださいって。。。ぇえーFBとTwitterに「いざ切腹」って載せたかったのに!そんな暇なく手術着に着替えてT字帯を着けて歩いて手術室へ。
手術室ではミーシャが流れていた。後にAI。
背中を丸めて麻酔入れて、仰向けになってしばらくしたらもう記憶無し!!
次の記憶は、手術室で起こされてて、いきものがかりが流れてました。

その後しばらくは、背中から入れてる麻薬級の痛み止めで痛さは感じなかった。
しかし血圧が、上が70とかになっちゃって、それが背中の麻酔のせいだということで、切られてからが地獄。。。

熱も出ちゃうし、痛いし痛いしとにかく痛い。
夜中じゅう看護師さん呼びまくり、氷枕変えてもらったり、点滴、座薬、点滴と、いろいろな痛み止めにトライ。。。
死ぬかと思った .....
この日の夜勤の看護師さんには本当に感謝です...

5/3
朝になって先生に確認してもらって、背中の痛み止めを再開。
やっと開放された!


お昼からご飯出るけど無理しなくていいよって言われてて、見てびっくり。


うどん、そして牛しゃぶ!!!www
ヘビー!!!
1割程度しか食べられなかった。

夜寝てない分昼間ガッツリ眠くてずっと寝てた..
夜ご飯もお粥でたけど2割程度しか食べられなかった。スープの豆腐をちびちびっと食べた。


そしてこちらが石。

小粒が、集まって大粒になってる様は、グロい。きしょい。こいつのせいで。。。!憎々しいっ!!!


胆石症~退院編へ~





Android携帯からの投稿

【発作1】
事の始まりは2012年8月。

夜中に、強烈な背中の痛みを感じて目を覚ました。
「うわ、これ、やばいヤツだ」
と感じ、母を起こした。
母が慌てて私の背中を触ると、フワッと痛みが取れたので、霊的なヤーツだ、と思った。


【発作2】
その1ヶ月後。
その日は会社でイライラしていて。
おやつをバカ食いしていた。
17:55頃、またあの背中の痛み。
母に連絡して、なんとか家路に。駅で母が待っていてくれたのだが、今度は背中に触れられても痛みは取れない。

座ってても立ってても寝てても、辛い、痛い。
痛さから吐き気を催して吐いてみても良くならない...。

近所の救急病院Tへ自力で向う。
レントゲン、採血、CT、何をやっても分からない。
色々していたら痛みが引いてきたので、胃薬と痛み止めをもらって帰宅。


翌日、約束があったので、ディズニーseaへ。体調は問題ない。
ザンビでビールを買って座ったら母から連絡『肝臓の数値が高いから即入院だって。帰ってこれる?』えーーーー
ムリムリ、だってトイストのファストパス夕方だし!
体調も全く普通だったので「無理」ということで病院Tへは翌日行くことに。ビールは我慢。

翌日、病院Tへ。
当直の先生が「確かに数値は高いけど入院する程じゃないし...もっと大きいとこでちゃんと調べてもらいな」と逃がしてくれた!マジ神!!

その翌日、会社を休んで、大きい病院Bへ。

エコーにて『胆石』があると発覚!
た、たんせき...?

CTとったのにわからなかったのかあのヤブめ!と前の医者への怒りをフツフツさせつつ。
先生が言うには、私の訴えてる痛みと胆石症の症状はちょっと違うなーと。胆石症なら薬で溶かしたり出来ないので、胆嚢摘出手術が必要とのこと。取っちゃったら生えないし、確実にわかってからのがいいでしょう、と。
また痛くなったら来てみて、というので、そのようにすることに。。。


【発作3】
1ヶ月後位、会社で14時頃またキター!
救急車で病院Bへ!
胆管に石が落ちてれば現行犯なんだけど、それは無く...。

そしてこの時担当になった病院Bの医者が本当にカスで!
このあとMRIもやったんだけど案の定わからなくて、「わかんないけど胆嚢とる?」みたいなスタンス。

はぁぁ???イラー!!!

ぐちゃぐちゃと言い訳みたいなの述べた挙句、「じゃぁ大学病院行く?大学病院で調べてもわからなかったら納得するでしょ」みたいな言い方しやがって!
どちらにしてもコイツの世話になるのは嫌だと思ったので、大学病院に行くことに。イライラ。


年明け。
大学病院Tに。
担当の内科の先生は「The★医者」って感じですごく信用できる!
口から管いれて胃とか胆管とか調べてなんともなかったけど、結局、手術をここですることに。

【発作4】
しばらくして、朝ごはんにソーセージを2本食べたら、会社行く途中にキター。5分程度で収まった。

【発作5】
手術の2週間前、ちょっとハメ外して飲んだら、翌日、でた。22時頃。10分くらい。

【発作6】
発作4の翌日、2杯飲んだらその翌日会社で14時頃。でた。20分位、更衣室で立ってしのいだ。
この日からホントにマジ禁酒。

食べ物もうどんと和食ばっかり、飲み会も全て断り、ラーメンも行かないで帰った!

でも普段からアッサリ食を好んでいるし、発作の時だってそんなにギトギト系は食べてないのになー?
胆石症って太ったオバちゃんに多いと言うけど、ワタクシ29歳でやせ型な方(170cm、制服とか9号で大きい)ですし...。
謎すぎ...。。。


→手術編につづく。



どうしても諦めきれなくて


どうしてもどうしても諦めきれなくて



もがいてもがいて

ちょっと病んで


そしたら突然

神様が現れて







奇跡がおきたよ。



誰よりも何よりも愚かな私は二日酔い。
ほんとに自分が許せなくて
悔しくて


スタンドで上の方だったんだけど

ジリジリと太陽が間近で照り照りしてて
苦しかった。





開会のMC後、
イッソンがスタート

イッソンが「どんどん 出てこいや」と言って

それからは もう ずっと

涙でステージは見えなかったよ。




イッソンでピークを迎えてしまったのか

テンフィ途中で離脱を決意。


なるほど、これが噂の熱中症...。


フラフラしながら水を買いに行ったら
お金払った時、財布についてた健康御守りがちぎれた。
もう、おわったと思った。


階段の踊り場でグッタリしてたら
ダストのジョージとストンピンのヤスが通った。

目で追うだけで精一杯だった。
それくらい終わっていた。

しばらく室内で座ってて、
スキャフル始まったのは聴こえてたけど
ここで無理してハイスタ見れないとかホントに無意味で
謝っても謝りきれないと思った。

悔し涙でスキャフルの音漏れを聴いていた。


イッチャンTで来たからには、
イッチャンからは戻りたいわけで。


イッチャンまでは、とにかくじっとしていた。


イッチャンはいつもよりやっぱり気合い入ってたし声もでてたw

円陣をスタンドから見ていて、
いつも私はあそこにいるのに
上から見てるのが不思議で

熱中症からの幽体離脱かと思ったよ...。


ハイエイタス夕暮れとかお馴染みすぎてちょっと噴いて

ワグダグは,kenkenかっちょえーなーとか思って



ライブ楽しんでるんだけど

どんどん緊張していくんだわ。


電光掲示板?に出てる「ハイスタ」の文字を何度も確認して

あぁ夢じゃないよねと確認する。



ホルモンの嵐、久々で嬉しかったわー。


ブラフマンは、なんだろ、トシローさん、すごいよ。

心底嬉しいんだね。

ほんと仲間を大事にする人だよね。

「11年前の映像見て、俺の肌がツルツルすぎてびっくりした。肌も荒れるし汗も臭くなる。」
「11年前はこんなに若ぇバンドはいなかったなぁ。みんなドコ行ったんだ。」
「11年前、横山はうつ病で難波は怒鳴っていてツネはオロオロしてメガネがくもっていた」
「俺はいつもライブが終わったら死んでもいいと思ってやってるが、今日は違う、生きて次のバンドが見てぇ」


笑って泣けるMCと
圧倒的なステージング


立ちすくむ。




昼間は「ほんとにチケット完売?あそこらへんとか、席としてうったの?」って感じだったところも、

夜はビッシリ人。






そしてついに


ハイスタ。


健くんが「俺達ハイスタンダードっていいます」って。


あぁ、ほんとだ、すごい。

ハイスタだ。


後ろの席のオシャレ服の女性が、
ギター1音目でどんどん曲名を当てていくんだよ。
当時ハイスタのライブによく行っていたのでしょう、思い出を語りながら。


Tシャツ着て暴れなくなった
子供ができて、家族をもった

11年の間にみんなにいろいろ起きてて

でも
ハイスタは


変わらずそこにいたんだね。


すげーよ、ほんとに。




翌日、フォロワーさんの何人かが

東北の公演は我慢します
その分東北の人に行って欲しい

ってツイートしてた。


それをツイートしてたのは
私が見る限り本当に世代の人。


本当に彼らを11年待っていて
彼らの意思に賛同してる人。




東北のAIRJAMには、東北のキッズ達がみんな行けますように。