この前Twitterを覗いてたら
久々に辛い呟きを見つけてしまった。

 

 

「発達障害者の生きる
価値ってなんですか?。」

 

 

って。

 

 

生きる価値?。

 

 

う~~~ん、

ボクも発達障害当事者だけど、

 

 

「アンタみたいな人が
何で生きてるの?。」

 

 

って面と向かって言われたら
めちゃくちゃ辛いですし、
 

 

「そんなこと言われてもねぇ~、
そういう風に生まれてきちゃったしね~(-_-)。」

ぐらいしか言いようがありません。

 


確かにボクは健常者に比べると、
 

 

「知能指数」も、
「運動神経」も、
「処理能力」も、
「把握能力」も、

 

 

全てにおいて諸々の数値は劣っています。


 

なので、生きる意味をどこまでも
 

 

「生産性」と「目に見える数値」

 

 

だけで問われたら、
ボクに生きる意味も価値もないでしょう。

 

 

もちろんそれはあくまで
「生産性のみ」を追求した場合です。

 

 

だけど、ボクは人生を

 

 

「自分に与えられた手持ちのカードで
どれだけ人生を豊かに出来るか?を競うゲーム」

と捉えています。

 

 

もちろんそのカードは
平等に配られるわけではなく、

 

 

中にはレアカードばっかり持って
生まれてきた人もいますし、

 

 

ボクのようにポケモンでいう
「コイキング」みたいな
 

 

「跳ねる」と「わるあがき」しか出来ない

最弱カードしか持っていない場合だってあります。

 

 

もちろん強いカードを持ってる人の方が
物事において有利に捗ることでしょう。

 

 

麻雀だってバラバラの配牌よりも
タンピン三色イーシャンテン。

 

 

ポーカーだったら
ロイヤルストレートフラッシュ

 

 

こいこいだったら
五光の手札を持ってる人のほうが
圧倒的に有利ですし、

 


そういう超有利な状況で
生まれてきた人だっているでしょう。

 

 

だけど、

 

 

”そういう風に”生まれてしまった。

 

「遅いよね?。」

 

 

って、

 

 

「出来ないよね?。」

 

 

って

 

 

「ホントにダメだよね?。」

 

 

って思われるような

弱いカードだけを持って
生まれてきてしまった。

 

 

じゃあ、どうするか?。
それでも生きる意味は何なのか?。

 

 

「頭が良くないまま」

 

「突き出たまま」

 

「今の自分のまま」

 

 

 

生きる「工夫」と「仕組み」を
立てて行くしかない。

 

 

手持ちのカードが
手持ちの武器が
手持ちの配牌が、

 

 

どういうところで有利に働くか?
どう使ったら効果的なのか?

 

 

それらを徹底的に把握し、
活かせる場面を徹底的に探して

 

 

どうやったら今の自分が豊かに生きれるか?

を本気の本気で考え抜いてみる。

 

 

そして効果的に働く能力と場面を見つけたら
徹底的にその能力を磨き、突き出させていく。

 

 

生きる努力って、
きっとこういうこと。

誰でも分かり切ってることだけど、
ボクたちは生まれも親も環境も選べない。

 

 

選択肢もない完全ランダム。
 

 

今風に言うと

 

 

「完全ガチャ状態。」

 

そうじゃなかったら誰だって、

最初からレアカードを持って
生まれてきたかった。

 

 

「親がメッチャ金持ちで」

 

 

ディーンフジオカに斎藤工を足して
キムタクを掛けて

 

 

どこぞの韓流イケメンアイドルを
分母で割って√を代入した?ような。

 

 

「超絶イケメン(イケメンとは?)で

コミュニケーション能力が高くて」

 

 

「何でもこなせちゃう頭脳と
運動神経を持ち合わせて」

 

 

生まれてきたかった。

 

 

誰が好き好んで

 

 

「飲んだくれで女房子供に
暴力を振るう極貧クズ親のもとに」

 

 

「何やっても失敗ばかりで
コミュニケーション能力皆無の孤独なドジっ子に」

 

 

「女の子から『キモイから寄らないで』
と言われるようなブ男に」

 

 

「運動会の駆けっこでは
毎回ビリッケツのドン亀に」

 

 

に生まれてきたいなんて思わない。


 

それにWindows10からWindows11に
アップデートするように、

 

 

機械的に自分を変えることが出来たら
誰だって苦労しない。

 

 

だけどみんなそんなことが出来ないことは
とっくに知っている。

 

 

だからこそ、

 

 

「今の自分のまま豊かになれる工夫」を。

 

 

変われないのなら、

 

 

「変わらないまま
シアワセになれる仕組み作り」

 

 

自分の「今」を受け入れた先に

 

 

「希望の光」

 

 

は見えるのかもしれませんね。