”心屋仁之助”って人の書いた本の中にこんな言葉が書いてありました。
「好きなことにお金を使えば使うほどお金が入ってくる」
「ほぉ~好きなことにお金を使えばお金が入ってくるんだ~?こりゃいいや!」とこの本に出合ったばかりの筆者は都合よく考えていました。
それで連日連夜パチンコ屋に入りびたり、長いときだと朝の9時~夜11時までスロットを打ち続ける生活を続けていたんです。
しかし、調子いいときは何万円勝っても負けるときはその倍お金をすってしまい、ついにはFXで運用するはずだった種銭にも手をつけてしまい、気が付けば口座はスッカラカン。それでも懲りずに親の財布からお金を拝借してまで勝負にいく日々を送ってたんです。
「あれっ?おかしくない?好きなことにお金を使ってるはずなのに入ってくるどころかドンドンマイナスになってる、なんで?」
と、町金にお金を借りる寸前のとこで疑問に感じたんです。
確かにパチンコをしているときって嫌なことも忘れられるし、777がそろったときの快感はたまりません。でもね、問題は負けたとき。
「はぁ~今日はOO万円負けちゃった」とか「親の財布からお金取って後で倍にして返すつもりだったのに・・・・・・」って罪悪感満載なんです。
「もう行くの辞めよう・・・・」って決意してもFXで2~3万円勝ったり臨時収入が入ったりすると舌の根も乾かぬうちにパチンコ屋に直行している自分に気づき、「なんて自分は意思が弱いんだろう・・・・」 「なんてダメなやつなんだろう・・・・」っていつも以上に自分を責めてるんです。
ここで”ハッ!”と気づきました。
「心からやりたくてやってることなのに、”罪悪感”を感じるわけないだろ!」
そう、筆者は実はパチンコなんてやりたくなかったんです、ホントは好きなことでもなんでもなかったんです。
だって”パチンコ”がホントに心から好きなことだったら勝ったときだけでなく”負けたとき”もスッキリして幸せを感じているはずなんです。
例えばスポーツにしても歌を歌うにしてもそれがホントに好きなことだったら満足な結果を出せなくても「あ~楽しかった」ってなるでしょ?
それなのに「またやってしまった・・・・なんて自分はダメなんだろう・・・・」なんて罪悪感を感じるなんておかしいじゃないですか?
「好きなこと」と思ってやっていたパチンコは「心からやりたいこと」ではなく「中毒」からしていた行為でした。
「やりたくないことにいくらお金使ったってそりゃお金回ってこね~わ」って気づいたんです。
でね、今好きなことをしてるのにお金が入ってこないって悩んでる人、それってほんとに”心からやりたくて好きなこと”ですか?
もしそうだとしたら”罪悪感”なんて感じるわけありません、どんな状況になっても「あ~楽しかった」ってなるはずです。
罪悪感を感じつつそれでもやってしまってるんならそれは「やりたいこと」をやってるんじゃなく、
「中毒症状」から”無理にやらされてるだけ”なのかもしれません。