「発達障害ってそもそも何?」って思われる方は多いと思います。
本やネットを開けばADHD,アスペルガー、LDなどいろんな情報が載っており、
「片付けができない」 「耳で得た情報を頭で整理することが苦手」 「共感性が薄い」 「場の空気を読むのが苦手」
などなど知ることが出来ると思います。
で、なんでこれが障害になるの?って聞かれると、長いこと当事者として生きてきた筆者でさえよくわかりません。
別に生きてくうえで何ら不便を感じたことはなかったし、特性が命を脅かしたこともありません。
じゃあ何が困るのか?それは周囲の人たちのタブーに引っかかるってことなんです。
「片付けられないのはだらしない人だ」 「何回も同じ失敗をする人を見るとイライラする」
「OOの場でOOと思えない人はおかしい」
っていう自分の「正義」を振りかざす人に「障害者」にされてるんじゃないか?って思うんです。
片付けができないことも、空気を読めないことも、同じ失敗をすることももし、”良い・悪い”で判断をされず、「ああ、この人はそうなんだ」で事済めば「個性的な人」で通るのに、それは”悪いこと”と決めつけてしまうしまうから「障害者」になってしまうじゃないのかな?って思うんです。
特に日本人って「平均的」って言葉が大好きで自分たちと違うことをする「異端」の存在をとにかく嫌う傾向にありますよね。
でもさ、いつの時代も歴史を塗り替えてきたのは「異端の存在」なんだよね。
同じ動き、同じ思想、同じ共感を持つ人間ばかりだと「新しいこと」ってどうやっても生まれないし、常識なんて常にコロコロ変わっていくもんです。
会社勤めが難しくて無職の方も特性がネックになって悩んでることでしょう。でもそう遠くない未来仕事が完全にネットやSNSなんかで自宅で出来るようになったとき「へえ~昔の人は同じとこに一か所に集まっていちいち自宅から通って仕事してたんだ~」ってなるかもしれません
そして今それを先駆けてやってる人達こそ”今の社会で生き辛さを感じてる人達”なんです。
今の常識に沿ってない新しいことをしてるから周囲から「異端視」されてるだけなのかもしれませんし、「就職しない」 「空気を読まない」 「自分らしく生きる」ってスタイルが新時代を作っていくかもしれません。