今現在の常識を作ってるのは多数の健常者たちです。



「収入を得るには就職するのが当たり前」


「お互い協力しあうのが当たり前」


「言われなくても察するのが当たり前」



それが出来ない、しようとしない人は「異常である」「精神障害だ」って言われてきたけど、どうして「個性的」って思ってくれないんでしょうね。




日本人って世界から見てもチームワークを得意とする民族だなって思うんですけど、全ての人がそれに当てはまるとは限らないと思うんです。



1人で物事こなしてたほうが力を発揮できる人だっているし、1人では何も出来なくてもチームワークの中でこそ持ち味を発揮する人だっています。




1人1人がそれぞれの持ち味を発揮できる方法で輝いていけばそれでいいと思うんですけど、なぜかそこに
””良い、悪い”をつけてしまうんですよね。




その人は今のやり方で充分幸せに生きてるのに、後から来た人が「そのやり方じゃ効率悪いよ」 「間違ってるよ」ってアドバイスのつもりで提案してくれてるんだろうけど、



された側としてはすぐに理解出来て「なるほど、そんなやり方もあったんだ」ってなればいいですが、
そのやり方が自分には複雑すぎて、なんのメリットがあるのかさっぱり理解できないじゃ受け入れようがありませんよね?



どんないい方法でも自分が納得できず、さっぱり理解できないものなんて無理して受け入れなくてもいいんじゃないかな?って思うんです。



どんないいアイテムや薬でも使用する上での効果がわからなければ宝の持ち腐れです。



今までのやり方で全然不自由してないんだったら無理して変わる必要なんてないです。でも、おせっかいな人が「私がこんなに素晴らしいアドバイスをしてあげてるのに!」「それを受け入れないあの人は異常な人だ」「脳の機能障害があるから理解できないんだ」って「病人」をせっせと作ってるんじゃないか?って思います。




自分が上手く呑み込めないものなんて無理して受け入れなくてもいいと思います。



「私の言うこと聞かないと大変なのことになるよ」


とか、


「これは貴重なアドバイスだからちゃんと受け入れなさい」


って言うけれど、どんな美味しくて貴重な食材を使った料理でもまとめて一気に口に詰め込まれたら苦しいばかりで味なんてわからないじゃないですか?



一つ一つ自分のペースで食して味わうからこそ「美味しい」「素晴らしい」がわかるんです。




1人でいることが好きなのなら無理して集団に溶け込む必要なんてないし、働きたくないし、働けないのに無理して働くことにこだわらなくってもいい。



自分のしたいこと、そうしていたい状態に良い、悪いをつけず、「私は今のやり方で上手くいってるんだ」って言いきってもいい。