もうすぐ筆者の友人の命日になります。



いつもこの日がくると胸が締め付けられるような感覚に襲われます。



以前の記事でも書きましたが、筆者の友人は自殺しました。同じ発達障害を抱え、お互い生き辛さを感じながらも共に就労センターで数か月を共にしてきました。



友人はアスペルガーでしたがパッと見普通の人で、筆者より先にセンターを卒業して就職していきました。



そこそこ大手の企業だったので本人も両親も大変喜んでいたのです。




しかし、数か月後自宅で自殺しました。その数日前に筆者は友人から「もう辞めたい・・・・」という相談を受け「せっかくいいとこに勤めたんだし、もったいないよ~」って気軽に答えてしまったんです。




「なんてこと言ってしまったんだ・・・・」って今でも後悔しています。




「辞めてもよかったんだ・・・・」



「無職のダメ人間でもよかったんだ・・・・」



「雑用もこなせない使えないやつでもよかったんだ・・・・」




死んじゃったら”どんな奴”にもなれないじゃないか・・・・・。




誰よりも「普通になること」に執着して努力を重ねてきた友でした・・・・。



誰よりも心が繊細でどんな些細な言葉にも敏感に反応する友でした・・・・・。



誰よりも「人を不愉快にさせること」を怖れた友でした・・・・・。



ずっとずっと「周りの誰か」になりたくて自分を殺し続けた友でした。



そして誰よりも自分らしく生きたいと心で願っていた友でした・・・・・・。



「嫌われたっていい」



「おかしいって言われてもいい」



「見通しが甘いって言われてもいい」



「そんなんじゃ失敗するって言われてもいい」



私が私らしく生きていける方法が”働かない”って方法だったんです。




「独立はそんな甘いもんじゃないんだ」って言葉は数百万回聞かされてきました。



「甘いか、甘くないか」は自分がやってみて判断するものです。




「失敗してもいい」 「笑われていい」  「惨めになっていい」



会社勤めじゃ”私は私らしく生きられないんです”。




「稼げなくても」 「貧乏でも」  「納期があっても」  



私はこの稼業を続けていく。



それが私が私らしく生きれる方法だからです。




そして”自分らしく生きる”という願いむなしく生涯を終えた友人に代わり筆者がその想いを継ぐことが何よりの供養と思ってます。




誰に何を言われても構わない。私は私のまま生きていく。