常識の範疇だけを追い求めてたら常識の範疇内の結果かもしくはそれ以下の結果しか与えられない。
一人でいくら頑張っても頑張った分の結果は出てもそれ以上の結果は望めない。
「他人の指示を聞き取るのが難しいからメモを取る癖をつける」
「吃音気味なので努力して改善する」
「不注意からのミスが多いので見直しを徹底する」
「欠けてるからそれを埋めるために努力する」って確かに大事だって教えられてきたけど、何故欠けてちゃダメなのか?考えたことありますか?
努力して特性を改善することを勿論否定するわけではないですがあなたは何のためにその特性を改善する必要に迫られてるのですか?
「特性を改善しないと周りから嫌われるから」
「周りから嫌われると生き辛くなるから」
「生き辛くなると働けなくなるから」
「働けなくなったら収入が得られないから」
つまり、どっかに勤めて働かないと生きていけないって”常識”を信じ込んでるから「苦しいんですね」。
じゃあもし、
「え?今のあなたで全然いいですよ」
「え?不注意で身勝手でパニックになる?全然気にならないですよ?」
「え?就職しないと収入を得られない?充分お金入ってきてるじゃないですか?」
ってなった場合、それでも「特性を何とかしないと生きていけない!」ってなりますか?
「私は異常だから!」って時間とお金をかけて精神科に通って薬を飲み続けなきゃって思えますか?
障害が障害でなくなったとき、それでも特性を改善しようと躍起になりますか?
「障害があるなら頑張って何とかしなきゃ」というのはあくまで常識の範疇内です。
その根本は今の自分はダメ人間っていう前提からスタートしてるんですね。
だから「自分はダメ人間だからもっともっと頑張らないと」っていつまでも底に穴の開いたバケツに水を貯めようと必死になって少しでも手を抜いたらどんどん水がなくなっていくからいつまでも自分の容量を超えた頑張りを要求されてしまい、最後はブレーカーが落ちて”強制終了”で退場となってしまうんです。
常識を疑ってみましょう。
それ、ホントに改善する必要がありますか?
その特性はホントに”障害”ですか?
お金を稼げるのは会社だけですか?
会社勤めしないでお金を稼げる人は”特別な才能”を持った人たちだけですか?
だとしたらあなたはその「特別な才能」とやらをきちんと説明出来ますか?
常識の範疇で上手くいかないんだったら、常識からはずれたことをするしかないんです。
常識内で手に入る結果は「常識内での結果かそれ以下の結果」
常識外で手に入る結果は「常に想定外の結果です。」
常識外の行動とは
特性をもう改善しない
出来ないことはオール人任せ
したくないことはしない
他人の価値観で自分を決めない
ってこと。勇気いるし、めっちゃ怖いけど、もし出来たら世界がガラッと変わると思いませんか?