「ADHDです」


「アスペルガーです」


「統合失調症です」


「躁鬱病です」


病院を転々とするたび筆者の病名はコロコロ変わり、そのたびに違う薬、違う治療、違うサポートを受けてきました。


でも、どの方法も自身の生き辛さの解消にはなりませんでした。



どうすれば普通の人らしく暮らせるんだろう?」ただそれだけを願い、良くなることを信じて病院に通い続けたのに得ることができたのは「違う病名」 「違う薬」それだけでした。


「結局オレは何者やねん!!!」


って何度憤りを感じたことかわかりません。


ただ、ただ、「安心して暮らしたい」そのために「正しい診断を受け正しい治療を受ける」これが自分の生き辛さを解消してくれるものと信じてたのに・・・・・。



「ADHD]


「アスペルガー」


「解離性障害」


「躁鬱病」


「自閉症」




呼び名は違えど「生き辛さ」を感じてることに変わりはないし、安心して暮らしたいという”思い”に違いがあるわけないし、、そこに能力や特性の高低は関係ありません。




どんな「冠名」が付こうと人間として生まれたならば「自分らしく生きたい」って誰もが思うことなんです。



「正しい診断を受けて正しい治療をする」ことを否定するわけではありません。



「自分が何者か?」がわかれば対処もしやすいし、幾分生き辛さも改善するかもしれません。



でも、誰かに「あなたはこういう者だ」って時間やお金をかけて教えてもらうよりも



「私は何者でいたいのか?」



って考えることがなによりの”治療”じゃないかなぁ。