「それはあなたが気を付ければいいことでしょ?」  


「それは、あなたの心が弱いからでしょ?」



「なんでも病気のせいにするな!」

ちゃんとしてほしくて、良かれと思って発したそのセリフ、”実は、とっても迷惑です。”



もっと言えば、出来るんなら言われるまでもなく、”とっくにやってます”。



誰も人を怒らせて困る顔を見るのが楽しいなんて人はいません。「誰になに言われようと気にしねーぜ!」なんて度胸はありません。






自分の努力ではどうにもならないことだから、世間では”障害”なんて冠をつけてるんじゃないの?



「頑張れ」の一言でどうにでもなるんだったら”障害”でもなんでもないよね?



足が片方ない人に、足が2本ともついてる人と同じスピードで走れって言ったって無理でしょ?



努力して、訓練して、それなりのスピードを出せるようになっても「速く走る」という行為においてはどうやっても足が2本ついてる人には敵わないのだ。



それを「甘えてる」、「頑張りが足りない」、「常識がない」なんて言わないでほしい。



そんなだめな姿を見てイライラするんなら関わってくれなくてもいい。だまって去ってくれればいい。



あなたの「普通は・・・」とか「こうすべき」という”~べき”を押し付けないで。



「甘えてても」  「頑張りが足りなくても」  「常識がなくても」それでも、何か出来ることはないのか?って必死でさがしてるんだ。



だから、我々は独自の道をいく。常識からズレてても、承認を得れなくても、”自分が生きやすいと思った生き方をする。



だってそれが我々が生きていくための手段だから。



当事者と一緒にいて「苦痛だっ!」って思う人がいたら遠慮なく離れてくれても結構。



あなた達が我々の言動を理解出来ないように、我々も、あなた達の意図をくみ取るのは難しい。



そんな者同士が一緒にいても誰も得しないし、まして価値観の押しつけ合いなんて不毛以外のなにものでもない。


一緒にいられたほうが苦痛ってこともある、これが無理やりならなおさらだ。



だからみんなといっしょにいることが必ずしも当事者の為とは限らない。逆に一人のほうが力を発揮出来るって人もいるんだ。



要はお互いが楽に生きることが出来るなら、別に一緒にいようと、離れていようとどっちでもいいんだ。