今日はちょっとタイトルが過激ですが、別に自殺願望とかじゃないですよ。



筆者はほかの発達障害に関する記事をよくチェックするんですが



「おっ、この記事はスゴイ希望を持てるな」って記事がある反面、”発達障害者は生まれ落ちたそのときから人生終わってる”なんて非常にダークな記事も目につくんです。


ざっくり理由を説明すると、学校では授業についていけず、周りとうまくコミュニケーションを取れないため、成績不振といじめから不登校にあって早々にドロップアウトする、と。 


仮に勉強能力には優れていて、学校生活をクリアしても、次の段階である社会生活で、凸凹すぎる能力のため、幅広いスキルを求められる現代社会では通用せず、”適応障害”や二次障害である”うつ病”でここでリタイヤしてしまう。



と、以下の理由で発達障害者は”ハイ、ご苦労さん”と言いたいのだろう。



でもさ、確かに僕ら当事者は健常者の目指す幸せモデルから見れば終わってるのかもしれない。


「学校では友達と思い出をたくさん作って、社会に出たらいい会社に就職して、出世して、結婚して子供つくって・・・・」


筆者もそんな生活一度は夢見たこともあった。


必死でその暮らしに近づこうと頑張ったときもあった。


でも、出来なかった・・・・発達障害の診断が下ったときすべてあきらめた・・・・・



「そっか・・・オレは生まれ堕ちたその日から人生終わってたんだ・・・・」って



そしてこう考えた



「どうせ始めっから人生が終わってるなら、わざわざ終わってしまった世界の常識に固執する必要はない、これからは
自分の”好き” ”嫌い”をもっとだして生きていこう」って


自分がしたいことだけする、したくないことはテコでもしないぞ!って決心した。


「いい歳なんだから仕事に就いてなきゃ」、とか「いつまで独り身なんだ」とか”そんなんじゃ幸せになれないぞ”って話は
一切無視するようにした。



”幸せか” ”幸せじゃないか”はどこまでいっても自分が決めること。世間でいう”幸せモデル”じゃなきゃ幸せじゃないなんてやっぱり偏見だと思う。


それに、いまさら人並の人生なんて求めちゃいないしね。



”そのままの自分でいることが許されない世界で生きる必要はない”


”人生すでに終わってるなら今生きてるこの瞬間はオマケみたいなものだ、なら自分の好き勝手に生きても文句はないはず”


”当事者はやけくそになれ”って言ってるわけじゃない



”特性を持ったまま”   ”ダメだって言われた自分のまま”生きることが出来る世界に活路を見出そうってこと。